本の感想

本の感想など

お金の流れで見る戦国時代(大村大次郎著 PHP文庫)

2024-01-31 12:38:15 | 日記

お金の流れで見る戦国時代(大村大次郎著 PHP文庫)

 昔、例えば宮本武蔵のような剣豪小説を読んで、そのどこにもお金の話が出てこないのに不審を覚えたことが何度もある。いかに武蔵と言えども、朝昼晩は食べないといけないだろうにどこで稼いだかが書いていない。同じことで、戦国時代に限らずいわゆる講談本には陰謀策略は出てきても、お金の話があんまり出てこない。今、我々が会社へ出ていくのはおカネのためであり、陰謀策略が楽しくて出ていくというヒトはほぼ皆無であろう。(昭和の頃には、陰謀策略が楽しくてというヒトが居ないわけではなかったのだが)

読者はおカネの話を読みたいのに、講談本の作者がお金の話を書かないのは、書く力が無い(知識がない)からだとわたしは見ていた。講談の名調子を書ける才あるヒトは、お金の扱い方が下手なので書けないのである。堺屋太一さんは、お金の話を上手に小説に書くことができたが、いまいち講談本の名調子が他の作家に比べて落ちるようである。ゆえに売れ行きがいまいちであった。

 この本の著者は元税務署にお勤めであった。世の中を動かすのはおカネであることを知悉されている。その視点でお書きになるものだから目からうろこである。例えば、信長の桶狭間の戦いは塩田の取り合いであったと地図を添えて説明されている。おおそうだったかと腑に落ちる話である。塩は今なら安いものであるが、昔はおカネと同じものであった。黄金より塩の方が値打ちがあったであろう。殷(商)は、塩田を元手に成立した都市国家であるという。三国志の関羽は、軍人というよりは塩商であったという。ために今でも商売の神様になって線香の煙が絶えることがない。

 ことの真偽は分からないが、吉良上野介の領地はこの桶狭間と同じ知多半島にあってここの塩田が、赤穂の塩と争ったのが、殿中松の廊下の原因であるという話もだいぶ前どこかで読んだことがある。われわれは、日常の世の中を見るときはおカネの観点で見ている。政治家の何とかは大抵お金の話である。うんざりしているから、立派な人とは言わないが英雄はおカネで動かない信念を持った人と信じたいのである。遺憾ながら、英雄もおカネで動いていたと思わざるを得ない話が満載である。

 英雄は、戦で儲けたお金を上手に散じて次の戦に投じて勝ち進んだ。凡人は、戦で儲けたお金を肌身離さず持っていようとして、結局なにもかも失ってしまう。そんな教訓をこの本から得た。英雄の心根は、我らと同じであると安心した。しかし英雄になれそうにない。


酒屋のおまき⑤

2024-01-29 21:23:15 | 日記

酒屋のおまき⑤

 苦情をいうヒトがいて、大叔母は常吉さんやおまきさんのそばに眠ることができないでいる。腹を立てた私の母親は、近所の寺のヒト区画に大叔母を永代供養した。母親亡き後、その墓地に香華を手向けるのはもうわたし一人になってしまった。私の倅はどんなに言っても多分お参りしないであろう。

 彼岸花の咲くころ、わたくしは立ち姿もまた座り姿も美しかった女性を思い出す。姿勢に気品のある女性であった。わたしの祖父母に愛され必要とされた人であった。


小説 酒屋のおまき④

2024-01-29 10:38:21 | 日記

小説 酒屋のおまき④

 戦後、おまきは店を長男に任せて隠居した。おまきの提案によって、立ち飲み屋をやめてスーパーに作り替えていった。これは功を奏して中堅の企業に育て上げることができた。大きな家で福禄寿を描いた紫檀の屏風に囲まれた生活である。給料日には、すべての店員の中の一番高い月給よりも高額の給与を給料袋に入れて、砂川町へ女中を連れて持参した。

 上品で小柄な女性は、さらに小柄になっていたが背筋の伸びた姿勢のいい人である。何も言わずにそれを受け取った。女中がその家の台所を借りてお茶を淹れて運んでくる。持ってきたお茶菓子をだして、おまきは昔話をするが上品で小柄な女性はその場ではお茶もお菓子も口にせず、ただ小さくうなずくだけであった。

 おまきは、店を継いだ我が子にはもちろんのこと他家へ嫁入りした娘にも、さらには信頼のおける重役にも砂川町のヒト(自分の妹)への給料の支払いを怠るなと言い続けて、それは確かに履行された。おまきの方が年上であったから心残りであったからであろう。おまきは八十をはるかに越えて身罷った。砂川町のヒトが身罷ったのはそれから二十七年たったときで九十を大きく越えていた。

 

エピローグ

 このお話は作り話ではない。おまきさんは、私の母方の祖母でいつもにこにこしている饒舌な人であった。孫の私や私の従兄弟が遊びに行くと、決まって天ぷらを作ってくれた。決して女中さんには作らせなかった。ただ揚げた天ぷらを古新聞の上に載せるので、わたしはインクが天ぷらに付着していないかといつも心配していた。

 私の大叔母、(私の母親からだと叔母)はどういう訳だかその年の流行の色柄を当てることができるヒトであった。毎年服やキモノを買う前には必ず大叔母のもとへ相談に行っていた。わたしもそれに同伴したことが何度もある。大叔母の最後を看取ったのは私の母親である。たぶんおまきさんに命じられていたのだろう。 おまきさんのどうしても足りないところを大叔母が受け持っていた。おまきさんと大叔母は実は二人で一人であった。

 

 孔子に「備わらんことを一人に求むる勿れ」とある。これは、自分の目の前にいる人間が何でもかでも出来るひとだと思ってはならないとの教えとされているが、そうではない。

「あなた一人ですべての幸せを受け取ることなんかとてもできないのですよ。あなたに代わって幸せを受け取るヒトを探してそのヒトを大切にしなさい。それが、あなたが少しだけでも幸せになる方法です。」

との教えだと考える。

 六本木や霞が関や丸の内で働く人々の背中を見ると、ひとりで何もかもの幸せを受け取りたいとの意欲に満ち溢れている。その人々より、おまきさんの方が成功した人だとわたしには見える。幸せは決して一人で受け取ってはならないものである。


小説 酒屋のおまき③

2024-01-28 23:43:59 | 日記

小説 酒屋のおまき③

 当時の日本は軍靴の足音が次第に大きくなってきたが、酒屋の仕事は順調であった。何しろ競争しないのである。地域独占が国家のお墨付きで与えられているようなものである。満州事変は起こったが、真珠湾はまだであった頃のことである。常吉が突然病に倒れて、おまきを枕元に呼んでこう告げた。

「わたしが世話をしているひとが砂川町にいる。身寄りのないヒトだ。済まないが、このひとを店員に雇っていることにして毎月の給金をずーと払ってくれ。他の店員には内緒にしておいてくれ。」

おまきはこう応じた。

「ええ知ってましたよ。砂川町ということだけは今知りました。もちろんあなたの言うとおりにしますから、どうぞご心配なく。それだけではあなたも心配でしょうから、私たちの養い妹として戸籍に入れましょう。もちろん、お給金も支給しますよ。わたしも、妹ができてうれしいし子供たちも新しいおばさんができてきっと嬉しいでしょう。」

「そうか知っていたのか。」

 おまきの行動は実に早かった。その日のうちに番頭一人を連れて砂川町に出かけた。おまきはごく小さいけれど掃除の行き届いた家に住む上品で小柄な女性にことの顛末を話し、自分たちの養い妹になってくれるように搔き口説いたのである。上品で小柄な女性は、どんな運命でも受け入れる準備のできた人のようである、その場で静かにうなずいた。おまきは、直ちにその場から番頭を戸籍作成の手続きを問い合わせに

役所へ走らせた。もちろんこのことは店の誰にも喋ってはならないと釘を刺しておくことも忘れなかった。

 おまきは番頭の去った後、懐から給料袋を取り出し今後あなたは当店の店員の身分になるが出勤の義務はないことを告げた。上品で小柄な女性は事の展開が意外であるのにも関わらず表情に驚きの色も見せずに、その袋を何も言わず受け取った。おまきも腹が立つとかの感情は一切湧いてこない。常吉の入院先の病室の部屋番号と、自分たちは午前中は行くかもしれないが今晩も明日の晩も明後日の晩もずーと病室には赴かないことを告げた。上品で小柄な女性は、また静かに小さくうなずいた。さらに、常吉に万一のことがあってもあなたには知らせないがそれでもいいかと問うた。上品で小柄な女性は、これにも再び静かに小さくうなずいた。

 おまきが、作成した戸籍の写しをもって常吉の病室を訪れたのはその五日後であった。常吉はそれを見てわずかにほほ笑んだだけである。そのことがあってさらに数日後常吉は身罷った。五十歳を一つ越えた歳であった。上品で小柄な女性は、常吉の葬儀にはおまきと話がついていたので姿を現わすことはなかった。


小説 酒屋のおまき②

2024-01-27 21:08:48 | 日記

小説 酒屋のおまき②

 おまきは自分は何が欲しいのかもわからないまま十数年がたってしまった。本当の自分とはなんであるのか分からないままである。酒屋は地域独占しているから競争というものは無かった。気を付けるべきは店員が店の金を持ち逃げすることであるが、常吉はそこは抜け目なく仕事をしていたのでお店はまずまず安泰であった。

 昭和恐慌のさなかのある日のことである。いきなりお客が来なくなった。タダの一人も来ない。駅の向こうの酒屋もお客がなくなったのか番頭を走らせたところ、帰って番頭の報ずるところは

「客は山のように来ている。全品二割引きの札があちこちにはりだされている。」

という。

無駄な競争をやらないのが暗黙の同意であったはずだが何が起こったのか。

 おまきは、父親の言葉を思い出して、常吉さんにすべてを差配させるから何とかしてと告げた。常吉さんは、すぐに店員に当方には三割引きの札を張らせた。そうして一番奥の桶の陰に隠れて入ってくる客の酔いざまをジーと見るのである。二杯目を頼む客が酔っているとみると、品位の悪い酒を上等の酒として売るように店員に命ずる。さらに三杯目を頼むとさらに品位の悪いのを上等の酒としてだす。ただし、何かとうるさそうな客にはこの手は使わない。効果は覿面で、今度はおまきの店に客があふれかえってさばききれないようになった。三割引きながら利益が十分出る状態である。

 ものの二週間ほどで駅の向こう側の酒屋は、扉を閉めたままになった。おまきの店はお客で溢れかえるので、近くの空き地を借りて小屋掛けのお店を出すことになった。この小屋掛けのお店はその後本格的なお店に発展することになる。三割引きの札は必要なくなったし急遽田舎から店員をもう五名募集せねばならなかった。店員のしつけはおまきの仕事である、それからのおまきは忙しく働いた。

 その二週間の大勝負のあと数年間はすべてが順調に進んだが、それから常吉はあろうことか花柳界に出入りするようになった。田舎から出てきた常吉にとって、それが出世したことの象徴でもあった。ここへ行かなければ、出世したことにならなかったのである。常吉はおまきにも知り合いにもさらには店員にまでも常々

「おカネは儲けるだけでは駄目である。使わないと意味がない。」

と、本当にそう思っているかどうかは不明だが豪語していたのである。おまきは、それを悪い冗談だと信じようとしていた。

 今は違うが、当時は上中流階層にとって恋愛は花柳界にしかなかったのである。あたかも高級外車のようにおカネを持ってきたものにだけ売ってくれるというものであった。常吉はそこへ出入りしているのである。しかし今の我々から見ると不思議なもので、おまきにとってはちょうど友人がそこへ出入りしているようなものである。おまきは特別何らかの感想を持たなかったのである。