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エッセイ 我慢大会またはよく遊べの話

2025-02-28 22:37:30 | 日記

エッセイ 我慢大会またはよく遊べの話

 昔 テレビのないころでも人々は工夫して楽しみを見つけていた。映画や講談や落語に毎日出かけるわけにいかない。ましてや歌舞伎は年に一回行けるかどうかである。それでも昔の人の写真を見ると今よりはるかに明るい表情である。

 わたしのごく小さいころ、女の人は月に二回何とか講というご近所の寄合をもっていてご詠歌を歌った後お茶とお茶菓子で雑談に興じた。男の人は不定期に集まって宴会をしていた。ただの宴会では面白くないからだろう夏の暑い時には、「我慢大会」というのをしていた。座敷の雨戸をしめ切ってニワトリ(ニワトリのことをかしわと呼んでいた)の水炊きを囲んで熱燗を飲み、火鉢を抱き綿入れを着て「寒い寒い」というゲームである。もし「暑い」と誰かが言うとその人が負けになり、かしわの水炊きの費用そのほかを負担することになるらしい。当時の男の人はひどく威張っていた。それがこんな幼稚園児もあほらしいと思うようなゲームをするのである。

 その準備をさせられるのをわたしの母親はひどく嫌がっていた。なにしろ納屋にしまい込んだ火鉢そのほかを座敷に運び込まねばならない。わたしは小さいころ火をおこすのを得意にしていたので、火鉢の炭団に火をつける仕事をした。梅雨を越した炭団は湿気を含んでいるので冬に火をおこすよりも夏に火をおこす方がずーとむつかしいものである。その火をおこしながら、「そんなことなら冬に雨戸をあけ放って、うちわを扇ぎながら暑い暑いという我慢大会すればいいのになんでそれはしないのか。」と問うたことがある。母親の答えは「そんなことしたらご近所に恰好が悪いやないか。」というものであった。わたしは思わずそれに納得した。集まってくるのはご近所のおじさんであるから、見るのはご近所のおかみさんたちだけである。ご近所のおかみさんに見られると恥ずかしいという意味か、または自分のおかみさんに見られるのがまずいのか冬の我慢大会は一回もなかった。

 

 さて、大学生になったころホイジンガの「ホモルーデンス」が英語の教材であったので英語で読み切れないところは邦訳で読んだことがある。ホイジンガ氏の説では、遊びは労働の真似(例えば魚釣り)をするか、わくわくする(例えばジェットコースター)ものかのいずれかであるらしい。この説に従うとこの我慢大会はそのいずれにも分類できないものになってしまう。わたしは東洋にはホイジンガ氏の分類以外の遊びがあるのである。その時さすが我が東洋は奥深いとの感想をもった。(西洋は薄っぺらいと思った。)

 しかしわたしは大学を出て勤め始めたとき、この我慢大会は「労働の真似」であったことを痛感した。みんながそんなことはないと思いながらも「会社第一、お客さま第一、滅私奉公です。サービス残業いくらでもします。」と言わねばいけない、そのふりをしないといけない。あほらしそんなことあるもんかと言えばその人は罰金を払うことになる。我慢大会は当時の(たぶん現在も)労働を真似する遊びであった。ホイジンガ氏の慧眼は、意外にも昔の我が日本のおじさんの遊びも見抜いていたのである。

 わたしは大学高校の文化祭でこの我慢大会を実施することがイイことだと思う。一度でもこの遊びを経験しておくと生涯の宝になりそうな気がする。わたしはこの遊びを経験せずにいきなり働きに出たものだから皆が思ってることを我慢せずにそのまま言ってしまってずいぶん罰金を払った。遊んでおくことは大切である。「よく遊べよく学べ」とは、東洋の偉い人の言葉だと思うがここ百年くらい埃をかぶったままになってないか?子供の時にもっと遊ばないといけない。

 



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