本の感想

本の感想など

映画 フライ ミー ツー ザ ムーン②

2024-11-30 20:56:16 | 日記

映画 フライ ミー ツー ザ ムーン②

 なぜアメリカの映画は恋愛をこのような押し相撲のように描くのか。様々な決まり手があってこそお相撲は面白い、押しの一手しかないと高い入場料を払ってまで見に行く気がしないではないか。退屈しのぎに映画を見ながらいろいろ考えてみた。(なにしろ途中で中座するわけにもいかない)

 恋愛の技巧の優れている地域と料理がおいしい地域はピタリ一致する。それから古代奴隷制社会であった地域とも一致する。(仮説A)(エジプトは古すぎるので除外して)ドイツイギリスはたぶん古代奴隷制社会ではなかったと推測される。だったら中国が料理のおいしい地域であることはこれで説明できる。ただし恋愛の技巧が優れているかどうかはそういう映画に触れたことがないので何とも言えない。

 中東はどうなのかは全く知識がない。ただトルコ料理は大変おいしいと聞く。日本は庶民の料理においしいものがあるが、恋愛の技巧が優れているかどうかは判定がむつかしい。仮説Aは東洋では検証が必要だが西洋ではあたっていると思う。

 さて、古代奴隷制社会では貴族階級が旨いものを独占したが、その階級が没落する過程で貴族のおうちの料理人が庶民向けのお店を開設したのが料理がおいしくなった理由だという。しかし恋愛の技巧については、まさか没落貴族がそれを教える学校や学習塾を開いたとは思えないから、庶民のほうが積極的に真似をしたと考えられる。貴族が恋愛の技巧を磨いたのは、光源氏の話にもある通り半ば以上自分の出世のためであったとみられる。恋愛は貴族階級の者にとっては戦場であり仕事であった。庶民はそのいいところだけを真似することができたのであるから、庶民にとって得なことである。徳川家康は娘の嫁入りに源氏物語絵巻をもっていかせたという。家康もその娘も真似をしたいほうの庶民である。庶民は万葉集や平安文学を読んで技巧を学ばねばいけない。

 古代から連綿と伝わる技術がないと、映画がこんなにもワンパターンになるのかと残念な思いをした。退屈だった。

 


映画 フライ ミー ツー ザ ムーン

2024-11-28 21:09:15 | 日記

映画 フライ ミー ツー ザ ムーン

 出来の悪いラブコメディーで、いかにも趣味の悪いアメリカンドラマという感じがする。いまだにこんな映画を作っていては、フランスに田舎もんと馬鹿にされるだけである。アメリカ人は仕事をバリバリする合間に仕事と同じノリで恋愛(または本人たちが恋愛と思い込んでいるもの)をする。あれでは恋愛がハンバーガー扱いである。前菜が出てきて、様々な料理が順番に出てきて最後に苦いコーヒーが出てくるという楽しみが全く感じられない。雪景色は情感あふれるようにも描けるが、自然の猛威とも描ける。情感あふれる方の景色をお金を払って見に行くのが観客であるのにお客を無視してかかっている。

 しかし、合間に大事なお話を潜り込ませるところはさすがである。月面着陸は実はないのではないか、少なくとも放映された映像は映画監督が苦心してスタジオの中で撮影したものとして描いている。(この映画でそうであると断言はしていない。)これを言いたいがためにあのくだらないラブコメディーを作ったのかな。わたしなら、ハードボイルドの探偵ものに仕立てるところである。そちらの方が映える。

 くだらない男女のセリフを聞きながら、こう思いを巡らせた。

 月面着陸があったにせよなかったにせよ、あの時アメリカはソ連に負けまいと理科教育に力を入れた。その時の人材が月面着陸の後に金融工学に走ってリーマンショックを引き起こした。さらにまだ仕事をやり足らないとして、AIの研究開発に走った。いずれもいいことかどうかにわかには判定できない。

 便利な世の中というのもいいし、お金周りのいい世の中も望ましい。もちろんやりすぎて世の中に迷惑をかけるのはいけないことだが、情感あふれる恋愛がなくなるのはもっといけないことである。月は行くところではない、二人で見てまたは一人で見て(もっと大勢でもいいけど)その時の感じを楽しむものである。アメリカの映画人の猛反省を願うところである。観客の大事な時間を無駄にしてはいけない。同時に我々は平安貴族の残してくれた文化に感謝しないといけないと深く思い至った。


木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)②

2024-11-28 11:32:31 | 日記

木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)②

 面白いのは、初めに買った人は「金を儲ける法」のセクションをよほど熱心に読んだ痕跡があることで、マーカーがいくつもある。ちょうど高校の歴史教科書のようになっている。別の話だが、永井荷風の断腸亭日乗も古本で買ったが、初めに買った人は預金封鎖の日の記事を熱心に読んだ痕跡があった。お金の記事はかくも熱心に読まれるものらしい。

 それなら本屋に並んでいるお金に関する本がどんどん売れているかというとそうでもないように見受けられる。門外漢が書いているところが魅力なのであろう。プロ野球選手や大相撲の力士が「金を儲ける法」というコラムを書くときっとその新聞は売れるであろう。あの人でもできる、ならば自分もできるに相違ないというところが魅力なのではないか。

 さて、このコラムの欄には歴史を知ることは人間を知ることである。人間を知ることはお金儲けに大事であるというのが趣旨で、例えば資治通鑑を読み込むことが人間を知る一助になるかもしれないとある。私は遺憾ながら資治通鑑は見たこともないが、多くの通俗歴史小説なら読んだ。その範囲でなら人間を知ってるつもりであるが、さっぱり験が現れなかった。資治通鑑と通俗歴史小説の格の違いかもしれない。子孫が栄えるためには、若いころからそういう教育をすべきであろう。通俗歴史小説を本箱から排除して資治通鑑またはそれと同等の本を本箱に入れるのである。

 そこで思いつくことがある。わたしは面白がって手相の勉強を少ししているが、どの流派でもお金儲けの才能とコミニケーション能力とは同じ線であらわされている。コミニケーション能力とはお笑いタレントのようにしゃべりが上手いという意味ではなく、人間とはなんであるかの洞察に優れたという意味とみると話のつじつまが合う。

 しかし今から資治通鑑またはそれと同等の本を読んでも日暮れて道遠しである。若い時に木米と永翁のこのコラムに出会うべきであった。


木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)①

2024-11-27 09:04:32 | 日記

木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)①

 新聞にのせたエッセイを集めて本にしたもの。昭和50年刊で当時1200円だからかなり高かった。それが今古本屋で110円であるからこれは読まねば損である。話題は多岐にわたるが、戦前の軍隊の話や第三高等学校の話にまで及ぶ。それぞれ興味深い話題であるのになぜかしっくりこない。書き方が現代風でないのである。現代ではエッセイはなるたけ読者の耳目を集めるように大げさな書き方をする。それに私たちは慣らされてしまっている。

 例えば、日本の見猿、聞か猿、言は猿、の像はフランスへ渡ってすべてを見る猿、なんでも聞く猿、すべてを言って回る猿、の像になったと淡々と書くが、現代ならなぜ西洋にきて猿が変化したのかの理由を東西の文化の違い宗教の相違などを論点にして書くであろう。衒学的なあざとい文章を書くであろう。これはエッセイの書き手(すなわち自分)が優れた能力のある人物であることを表現したいがためと私は見ている。マウントを取っているのではなく、「文を売りたいそのためにはあざとい書き方でもするぞ」の気持ちと思う。現代は売文業の人が激烈な競争にさらされ、ために現代は文章が歪んでいるのではないか。そんな印象を受けた。宮崎さん風の淡々とした文がいいのか様々自分の考えをこれでもかと盛り込むのがいいのかは意見が分かれるであろうが、私は盛り込んでいいけどもっと控え目がいいと思っている。

 宮崎市定さんがお仕事をされた時代は、おうちに応接間が作られた時代である。応接間には立派な装丁の日本の歴史とか世界の歴史とかの本を並べるのが流行であった。インテリアとしての本であるが著者はそれぞれ家一軒が建ったという。本が売れた時代である。しかもその本の中身は充実していたので、今私はその本を古本屋で安く買って読むといういい思いをしている。

 時代が変わって本が売れなくなった。映像による情報伝達になってしまった。こっちのほうが早くて量がたくさんあっていいように思うけど考えながら情報を摂取できない。なんだか出汁の入っていない味噌汁を飲むような気がする。


法然展(京都国立博物館)

2024-11-25 17:43:07 | 日記

法然展(京都国立博物館)

 浄土宗の開祖という以外の知識がなかったが、ずいぶん勉強になった。ただし正しいかどうかは自信がない。法然さんは頭の平たい人であるから、お坊さんの中で上昇志向のない庶民の味方のひとであろう。その人が念仏を唱えるだけで極楽へ行けると説いたらしい。これに人々が乗ったという現象が鎌倉初期または平安末期に起こった。民衆が宗教を必要とし始めたというけれど、わたしは民衆が相互に信じあって連帯するためのノリの役割として宗教が必要になった時代だと思う。

 清盛が調子に乗って宋から宋銭を輸入したために人々が「銭の病」にかかってたぶんバブルが起きたと考えられる。それがはじけて巨大な貨幣過剰時代になると、大インフレになって人々相互に信用ならない時代が始まった。物の価値の基準がなくなったので取引できない。その時に同じ信仰を持っている人どうしならなんとか取引ができる。それでこの宗教が広まったのではないか。宗教は、ついついあの世のことばっかりに興味をもつがじつはこの世の連帯と取引に必要なものではないのか。われわれは取引をしないと一日として生きていけないものである。

 次に感心したのは、阿弥陀如来が手下を連れて来迎してくださるありがたい絵(この絵は美術としては相当よくできたものである)ではなく、その行った先の極楽の絵である。わたしは地獄の絵は小さい時から見せられて嫌というほどお説教されたので詳しいが、極楽の話は聞いたが絵は見た記憶がない。極楽へ行けばお釈迦さんのそばに座ると聞いていた。小学校なら校長先生のそばに座るということで、緊張するから極楽は嫌だと思っていた。しかし、この絵をみるとお釈迦さんらしき人の近くには位の高そうな人が数人座りその傍では楽師が音楽を奏でている。さらに舞台らしきものがあってここでは舞が披露されるようである。ここまできて御飯がないとは思えない、きっと山海の珍味が提供されると予想される。(行ったことないけど京都島原でまたは江戸の吉原で催される宴会はこんなものであるに違いない。)ならば極楽へはぜひ行くべきである。毎日宴会も疲れるがないのはさみしい。音楽と踊り付きの御飯ですぞ、行かないというようなことは間違っても言いたくない。お釈迦さんも音楽と踊りをお楽しみになるかと思うと急に親近感が湧いてくる。お釈迦さんと仲良くしたくなる。

 今回の収穫は、この極楽の絵を見たことである。大変よさそうなところである。