投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

三国志と中国 (文春文庫) - 陳 舜臣(文藝春秋)

三国志ばかり読んでいたころの一冊。解説本がほしくなり探してみた。私は40代になって初めて小説版の三国志を真面目に読みました。いろんな作家の作品を立て続けに。若い時に読んだほうが良い本というのがあると思うのですが、三国志もその一つでしょう。

ワクワクどきどきしながら漫画を読むように読むのが三国志。分別が付いてしまってからでは楽しめません。漫画や人から聞いた話だけで三国志といえば赤壁の戦いだと思っていて楽しみに読んでみたけど、結局、期待がでかすぎて拍子ぬけしたりする。

「我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」という劉備・関羽・張飛の桃園の誓いも、「異性結拝」という信頼供給方法としてのシナの義兄弟の契りの儀式だと知ると何か空しい気がする。あれを"友情"だとなんとなく思っていた子供のころが懐かしい。

三国志と中国 (文春文庫)
陳 舜臣
文藝春秋

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1995年9月10日第1刷

三国志にどんな食べ物が出てきたか、覚えている方はいらっしゃるでしょうか?

有名なのは人肉ですよね。呂布に追われた劉備をかくまった劉安が、劉備をもてなすため自分の妻を殺し、その腿の肉をふるまった。後、孔明と肉饅頭の話とか・・・。

陳舜臣のこの本には、三国志の頃の食べ物は南北朝時代とそんなに変わらないと説明してあるんですが、ということはかなり素朴な食べ物になります。粟、稗、高粱、肉。あと南に行けば米があったことでしょう。小麦がシナに西域から入ってくるのは唐代という話があるくらい遅いので、小麦の皮でくるんだ肉饅頭はきっとなかったことでしょう。饅頭は後から書き加えられた話ですね。

以下メモ
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p61
三国志の頃の食べ物は南北朝時代とそんなに変わらない。「荊楚歳時記」

p91
永六輔。長崎のお寺が実家。明治のころまで永(ヨン)と呼んでいた。明から清に時代が変わる時、日本に多く移り住んだ中国人の子孫の一人。

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(2000年~2004年頃 西図書館)
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