投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

江戸のまかない

内容を確認せずに題名だけで借りた本。最初は「食べ物」のことを書いてあるのかと思った。まあ間違いじゃなくて江戸の庶民が何を食べてたかということが当時の記録から書かれているところもあり、本の題名はそこを代表させている。



石川 英輔 「江戸のまかない」 講談社

江戸のまかない―大江戸庶民事情

講談社

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著者は1933年9月30日生まれ。作家。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科講師。京都府生まれ。国際基督教大学、東京都立大学理学部中退。1961年にミカ製版を設立して社長となり、「SF西遊記」で作家デビュー。1985年以降は専業作家。昭和54年(1979)に講談社から刊行した「大江戸神仙伝」が転機になり10年後には江戸時代の専門家扱い。

欧米人は日本は専制国家であり個人の自由はないと教えられて日本に来日したにもかかわらず、日本人大衆の顔にうかぶ満足感と幸福感は見誤りようもないことに驚く。(p41)

イギリス初代駐日公使のオールコックは、日本の世襲貴族と一般大衆の間には越えがたい隔たりがあり、そのために一般大衆には我々が想像する以上の自由があるのかもしれないと想像した。(大君の都、岩波文庫)

オランダ海軍士官カッテンディーケは、日本の下層階級は私の看るところをもってすれば、むしろ世界のいずれの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼らの権利は驚くばかり尊重せられていると思う。(海軍伝習所の日々、東洋文庫)

法はきびしいが裁判は公平。法規と習慣さへ尊重すれば決して危険は無い。

プロシャ使節団のヴェルナー艦長は幕府が病院を建てようとした時、強制収用して土地を買収しなかったことを、日本は専制ではない例としてあげている。

スイスの遣日使節団のアンベールは、江戸には二つの社会がある。一つは武士、一つは武士に屈服させられてはいるが、自由から得られる利益をすべて受けている一般大衆だといっている。(幕末日本図絵、上、雄松堂出版、1969)

近代的な自由ではない。庶民は支配階級をうらやんだりねたんだりしてはいない。これは朝鮮と大きな違い。

「逝きし世の面影」渡辺京二、葦書房、1998
我々はまだ近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまり全ては日本文化という持続する実体の変容にすぎないとおめでたくも錯覚してきたのではあるまいか。実は一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。18C初頭に確立し19Cを通じて存続した古い日本の生活様式である。

日本人は欧米人の一種になっている。わずか数世代前の先祖の生活感覚を知るために、当時の日本人が書いた資料をより、欧米人の書いた見聞録を読むほうがはるかに分かりやすいのはそのためだ。(p44)


以下メモ

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P12 
1970年代まで江戸時代を少しでも前向きに評価するだけでも素人には意味不明な≪歴史的必然≫だの≪階級闘争≫だの≪ブルジョア的視点≫だのという左翼用語を使って攻撃された。

1980-1990年代になるとソ連が解体、社会が唯物弁証法的な歴史的必然性に従い階級闘争によって進化し、日本もいずれはソ連や東ドイツのような理想社会になるという科学的原理も消滅したらしく江戸時代に対する評価も大きく変わってきた。

P13 
江戸時代を理想社会と言っているわけではない

P21 
押し買い
自分が正当だと思う料金をおいて物をもってくること
日本の江戸時代にあった米屋の打ちこわしはこれにあたる

P20 
百姓一揆の年次研究 青木虹二 新生社1966
天明年間1781-1789日本全土で年平均26件の一揆
強訴(集団で城下に押し寄せる)は1/3 大部分は逃散、不穂など消極的抵抗

P21 
進歩的な歴史学者によって人民革命の先駆的な動きとして評価される打ちこわしにしても押し買いでは・・・・どうみても階級闘争というような運動からはほど遠い

P22
日本がキリスト教を国教とする国でもないのに江戸時代のキリスト教弾圧や踏み絵のことをこまごまと教える必要があるのか

P23
スペインで宗教裁判が廃止になったのは1830年代、幕末に近い

P41
江戸時代の年貢のことは分かっていない
よく分からないまま江戸時代の農民は生かさぬように殺さぬように支配者に搾取されていたと教えていたのであり無責任

P53
江戸名所図会
田中優子、石川英輔 評論社 1996年12月 原寸復刻版

P63
東芝の創業者 田中久重 天才的なからくり師
シャープの創業者 早川徳次 一流の錺職
トヨタの創業者 豊田佐吉 腕の良い大工

P71
三井越後屋呉服店
日本橋駿河町に四ヘクタールの土地で営業
19世紀初、その土地から得る収入は約74000両
二十万石の大名の得る年貢は四公六民としても80000両
時代はすでに近代に入っていた

P75
江戸の庶民約55万人に対し町奉行所の役人290人
大阪の庶民約60万人に対し役人160人

「百姓の江戸時代」田中圭一 ちくま書房
「貧農史観を見直す」佐藤富雄、大石慎三郎 講談社現代新書


P149
現存する最古の印刷物(年代がはっきり分かっているもので、国際的に認められているもの)は、法隆寺の百万塔陀羅尼(天平宝字八年・764)

呪文を幅4cm長さ35cmほどの紙に印刷

印刷書は敦煌千仏洞出土の金剛般若経(1868)巻子本(巻物)

P165
「拳の文化史」セップ・リンハルト(SEPP LINHART)角川書店 1998 
オーストリア人の日本学者

P239
東京水道局は「上水記」という十巻十冊の古文書を保管。
徳川幕府の普請奉行上水方道方 石野遠江守広道 天文8年(1788)~寛政3年(1791)の著作
徳川の水道事業は明治に東京府に移管される
東京水道局は世界の水道事業所の中でも屈指の名門

江戸の水道はOPENの川
神田上水と玉川上水
街中は木樋や菅で張り巡らされる

1613年完のロンドンの水道は19世紀の半ばまで自然流下式だったことは江戸と同じ。当時ロンドンでは水道は木管を地上に配置して番人がついた。パリは同じころ水道はない。セーヌ川には下水をたれながし、その水をくみ上げて水売りが売り歩いた。

P250
江戸のOPENの上水
江戸四谷大木戸水番屋
「この上水道において魚をとり水をあひ、ちりあくた捨てるべからず。何にても物洗い申すまじく、ならびに両側三間通りにありきたり候。並木、下草そのほか草刈り取りまじく候こと」

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コメント一覧

k-74(投錨備忘録)
こんばんは
さそっていただいたmixiの更新、最近さぼってばかりです。m(__)m
銀魚
百年の月日
なんとなく、だけど、人間百年も違うと随分違うんだなぁと、ちょと感じました。



でも、よく考えてみると会社に毎年入ってくる新人ですら、多種多様に変化しているわけであって、時の流れ、人の変化って当たり前にあるんですね^^



(今年の新人研修もハードだったし)
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