吉田 俊雄 「造艦テクノロジーの戦い」 光人社
1989年10月14日 発行
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著者は明治42年佐世保生まれ。昭和2年海軍兵学校第59期。米内光正、嶋田繁太郎、永野修身の副官を勤める。開戦前より軍令部第三部勤務。昭和18年より軍令部員。大本営海軍参謀。終戦時は中佐。
一例をあげるとこのような話が書いてある。
海軍は民間造船所の技術レベルを上げるため技術を移転していく。工廠から技術移転された民間の造船所は次に上げるもの。
三菱長崎、神戸川崎、浦賀、藤永田、石川島、播磨、三菱横浜、三菱神戸、三井玉野、日本鋼管鶴見、川崎泉州。
この民間造船所の技術レベルを物語る話が紹介されている。
ガダルカナル西方で、米潜水艦の雷撃でキールを損傷した防空駆逐艦「秋月」は煙突から前を切り捨てて昭和18年7月始め長崎港に入港した。 長崎港に同型艦の「霜月」が船体のみ出来上がった状態であったため、戦況急迫のおり急遽「霜月」の前部を「秋月」へ移植して「秋月」を修復することになった。 「秋月」は舞鶴海軍工廠(で建造)されたもの。「霜月」は民間の三菱(で建造)中のもの。同じ設計図とはいえ可能なのか? 結果はみごと寸文の狂いもなく合った。技術レベルは最高度に海軍工廠も民間も同じ水準であった。 |
以下メモより。
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(p88)平賀譲造船中将と藤本喜久雄造船少将
平賀) 復元力を艦艇設計の第一と考えた。
藤本) ユーザー(用兵者)第一主義。用兵者が満足するものを造ろうとした。
平賀) 夕張、古鷹、妙高
藤本) 吹雪、高雄、最上、蒼龍、友鶴
(p187)水雷艇「友鶴」事件
(p192)第4艦隊事件
その他、この本に登場する艦艇
大和、比叡、霧島、伊勢、日向、瑞鶴、飛龍、愛宕、利根、
島風、神風、伊168、三笠、出雲、八雲、磐手、浅間
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