生誕150年記念 藤島武二展
練馬区立美術館
藤島武二(1867-1943)。
美術に関心を持つ前から、名前だけは知っていた画家。
その作品といえば、ブリヂストン美術館所蔵の2点の重要文化財作品、そして2014年に同じくブリヂストン美術館で開催された「描かれたチャイナドレス」展で見た中国服の女性像を思い浮かべる程度。
今回の生誕150年記念の回顧展(前期)訪問が、画業全体と向かい合う初めての機会である。
本展一番のお気に入り。
《チョチャラ》
1908-09年
石橋財団ブリヂストン美術館
イタリア留学時代の作品。
チョチャラとは、ローマ近郊・南東の地方名「チョチャリア(ciociaria)」から来ていて、チョチャリア地方出身の女性が近郊の大都市であるローマに来て花売をしていたことから、その女性を地方名「チョチャリア」と呼んでいたらしい。
正式な地方名ではないらしい。ローマの南東約50〜60kmの、ラツィオ州フロジノーネ県辺りの地方をそう呼ぶらしい。 イタリアのなかでもマイナーな地域の一つであるらしい。
「チョチャリア」で検索する。まず出てくるのが「チョチャリア風パスタ」(グリーンピースを一杯使ったパスタらしい、食べたことはない)。次に、映画(その地方を舞台にした、あるいはその地方出身の女性を主人公にした作品が結構制作されているようだ、見たことはない)。さらに調べると、ローマ教皇史や第二次世界大戦史の話も出てくる。
花売娘「チョチャリア」は、独特の衣装もあってか、絵の題材によく取り上げられていたらしく、石井柏亭が同名の作品を残している(2013年の「夏目漱石の美術世界」展に出品されていたようだが、覚えていない)し、本国イタリアでも、wikipedia「ciociaria nell'arte」を見ると、Francesco Hayez(1791-1881)とか、Antonio Sicurezza(1905-1979)とか、幅広い世代の多数の画家が「チョチャリア」を描いた作品を残しているようだ。
もう一つ。カラヴァッジョが殺人を犯し、ローマを逃亡したあと、傷が癒えるまでの間潜伏したコロンナ家の領地はザガローロ、パレストリーナ、パリアーノとされている。それら3つの街は近隣に位置するが、うちパリアーノがフロジノーネ県に属する。他の2つの街はローマ県となる。
「チョチャリア」は、初めてその名前を認識した私が簡単にコメントできる相手ではないようだ。
次に、本展で印象に残る一画。
《うつつ》1913年(東近美)、《花籠》1913年(京近美)、《匂い》1915年(東近美)の女性像3点が並び、その対面に《ラファエロ壁画《スイス人の士官たち(ボルセーナのミサ 部分)》模写》1908-09年(東藝大)が展示される一画である。
《うつつ》東近美常設展にて撮影
私が期待した、「描かれたチャイナドレス」展で印象に残った、耽美的な「横顔+中国服の女性像」作品。
《ピサネルロ《ジネヴラ・デステの肖像》模写》制作年不詳(鹿児島市立美)の出品はありがたい。ルーヴル美所蔵のピサネッロ《エステ家の公女》の模写。
《ピサネルロ《ジネヴラ・デステの肖像》模写》
制作年不詳
鹿児島市立美術館
参考
ピサネッロ《エステ家の公女》
ルーヴル美術館
が、「横顔+中国服の女性像」は、前期では《鉸剪眉》1927年(鹿児島市立美)のみの展示。
「描かれたチャイナドレス」展に出品された《東洋ぶり》1924年(個人蔵)は後期限りの出品で、《女の横顔》1926-27年(ポーラ美)は出品されていない。佐々木カネヨがモデルという素描がプラスアルファ作品か。
本展を見る限り、藤島武二は、女性像と風景画が2大テリトリーのように思える。
うち風景画については、私的には、日本近代洋画によくある海外の二番煎じという印象で、興味を持てず。
一方、女性像は上述のとおり相応に楽しむ。
が、全体として物足りなさ感も残る。
その理由を考えると、
1)代表作であったかもしれない作品が現存しない事情がある。
例えば、本展出品作《桜狩(習作)》の本画は、関東大震災で失われている。
大きいのは「ローマ盗難事件」。
藤島は、1905年に38歳でフランスに留学し、1907年12月にイタリアに移り、1910年1月に帰国するのだが、イタリア到着直後の「ローマ盗難事件」により、パリ時代の作品の大半を失ってしまったというのだ。40歳手前の作品を!留学前の作品とイタリア留学時代の作品が重要文化財になっているのだから、その間のパリ留学時代の作品も代表作となりえる作品が存在しただろうに。
2)次の代表作が今回出品されていない。
重要文化財2点
《黒扇》
1908-09年
ブリヂストン美術館
1969年重要文化財指定
《天平の面影》
1902年
ブリヂストン美術館
2003年重要文化財指定
この2点は、パリ・オランジュリー美術館で開催中(2017.4.5〜8.21)の「ブリヂストン美術館の名品-石橋財団コレクション展」に出品作76点に選抜された。同展の初日から17日間の来館者数の総数は約56千人、とブリヂストン美サイトにある。で、本展には非出品。
50年も姿を現したことのない代表作2点
(以下、図録を参照して記載)
《蝶》
1904年
個人蔵
《芳蕙》
1926年
個人蔵
《蝶》は1966年の切手趣味週間切手になったほどだから、当時は重要文化財指定直前の《黒扇》と並ぶ代表作もされていたのであろう。
《芳蕙》は「横顔+中国服の女性像」作品。
《蝶》と《芳蕙》は、1967年開催の生誕100年回顧展に出品されて以降、50年が経過したが、その間一度も姿を現したことがないという。で、本展にも非出品。
《芳蕙》
なお、1967年当時の所有者は大里一太郎氏。氏は、中村彝《エロシェンコ氏の肖像》(1977年重要文化財指定)を東近美に1956年に寄贈したというほどの大コレクターであったらしい。今の所有者は変わっているのだろうが、さて、姿を現わすのはいつだろうか。次の大規模回顧展では登場してほしいものである。
本展は、8/22から後期入りしている。