東京でカラヴァッジョ 日記

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カラヴァッジョ《病めるバッカス》

2020年02月12日 | カラヴァッジョ
カラヴァッジョ
《病めるバッカス》部分
1594年頃、67×53cm
ボルゲーゼ美術館
 
   ボルゲーゼ美術館は、「カラヴァッジョ展 2019-20」に対し、所蔵するカラヴァッジョ作品6点のうち、4点も貸し出してくれた。有り難いこと。
 
3会場共通
《洗礼者聖ヨハネ》
 
札幌会場限り、初来日
《病めるバッカス》
 
名古屋会場限り、初来日
《ゴリアテの首を持つダヴィデ》
 
大阪会場限り
《執筆する聖ヒエロニムス》
 
   名古屋会場と大阪会場には行ったが、札幌会場に行かなかった私は、結果、初来日の《病めるバッカス》を見逃すこととなった。
   札幌行きも真剣に考えていたものの、もう1点の札幌会場限り出品予定《女占い師》が展示遅延→結局展示不可となったこともあって見送ったのだが、今更ながら惜しいことをしたなあと思う。
 
 
 
   カラヴァッジョがいつローマにやってきたのか、分かっていない。
   ロンバルディア地方での最後の文書記録が1592年7月であることから、1592年の後半というのが有力な説であった。
 
   ところが、1597年7月11日付の文書史料「ピエトロパオロ・ペッレグリーニの証言」が近年発見され、カラヴァッジョ研究界を揺らすこととなる。
 
   彼のことは去年の四旬節から知っています。きっかけは、彼がある画家の工房に出入りするようになったことで(略)その画家は今年の四旬節に亡くなり、ロレンツォ親方と言われてました。(略)工房では何度を彼を見かけましたし、彼の方も二度私たちの店に髪を切りにきました。それから足の怪我を治しに来たこともありました。その時は店主の息子のルカが治療にあたりました。
(「カラヴァッジョ展」2016図録)
 
   当時、本当に床屋が外科医を兼ねているんだ、という驚きとは別に。
 
   ロレンツォ親方(シチリア出身の画家ロレンツォ・カルリ)は、カラヴァッジョがローマに来て最初に身を寄せた先である、そう複数の年代記記者が記している。それを是とすると、カラヴァッジョがローマにやってきたのは、早くとも1595年の後半と、3年も後倒しになる。1597年頃にはデル・モンテ枢機卿のもとに寄寓している事実は変わらない、その条件のもとで、文書記録のない初期風俗画群の制作年代の再配置が必要となったのである。
 
   また、1592年7月からローマ到着までの年譜が空白の3年強の期間、彼はどこで生活/修業/制作していたのか、改めてクローズアップされることとなる。
 
 
   カラヴァッジョの現存する最初期の真筆とされ、馬に蹴られた怪我の治療のため入院中の自らをモデルに描いたとされる《病めるバッカス》。   
   その制作年代について、本展では、従来の考え方に基づいて1594年頃としているが、図録解説では新事実を踏まえて1597年とする新説も紹介している。
 
   本作品は、1607年にシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のコレクションに入る。
   その前は画家ダルピーノが所蔵していた。
   枢機卿は、画家の傷害事件を画家に有利に調停することで、《執筆する聖ヒエロニムス》を手に入れた。教皇庁馬丁組合の聖アンナ同心会がサン・ピエトロ大聖堂の礼拝堂に設置するために画家に注文した《蛇の聖母》を設置拒否させ、購入した。そして、画家は殺人を犯して逃亡中、新作を制作する機会は期待しづらい。
    飽くなき美術品コレクターであるボルゲーゼ枢機卿は、カラヴァッジョ作品を含むダルピーノのコレクションを目をつける。教皇庁の警察機関にダルピーノを銃の不法所持で有罪判決を下させ、コレクションを押収させ、自らの物とする。 
   この方法で《病めるバッカス》のほか、《果物籠を持つ少年》や本展にも出品のハートフォードの画家の作(カラヴァッジョも関与?)とされる静物画も入手する。
 
    カラヴァッジョは、約8カ月ダルピーノの工房で活動していた。その時に制作したのをダルピーノが手元に残したのか、後に古物商から購入したのか。わずか3歳年上のダルピーノは、当時のローマ画壇の実力者として既に活躍していたが、ブレイク前で下積み中のカラヴァッジョに一目置いていたのは確かである。
 
 
 
 
ハマスホイ
《イーダ・ハマスホイの肖像》
1907年
アロス・オーフース美術館
   38歳の妻イーダ。
   イーダが手術のためしばらく入院したその翌年の制作。目の下の隈、額に浮き出た血管。顔色をはじめ全体に緑がかった色彩。病の痕跡。
 
    東京都美術館で開催中の「ハマスホイと絵画」展の出品作。
   同展にあわせて、平凡社(コロナ・ブックス)から刊行された佐藤直樹氏の著書『ヴィルヘルム・ハマスホイ  沈黙の絵画』では、この妻の肖像画の参考作品としてカラヴァッジョ《病めるバッカス》が取り上げられているようだ。どういう繋がりだろうか。


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