憧憬の地 ブルターニュ
モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷
2023年3月18日〜6月11日
国立西洋美術館
第2章3の「「バンド・ノワール」と近代ブルターニュの諸相」。
ある意味、本展の一番の見どころかもしれない。
日本であまり知られていないだろう「バンド・ノワール」(黒の一団)は、「ポスト印象派」あるいは「最後の印象派」のグループのひとつ。
同時代に活躍したゴーガンやナビ派の画家たちが、総合主義のもとにはっきりした明るい色彩を使っているのに対して、「バンド・ノワール」の画家たちは、クールベのレアリスム(写実主義)や、オランダ絵画などの影響を受け、暗い画面の絵を描いた。
(とはいえ、実際のところ様式やスタイルは様々で、明るい色彩を使った画家もいた。)
本展には、国立西洋美術館および大原美術館が所蔵する「バンド・ノワール」の画家たちによるブルターニュ作品が多数並ぶ。
つまり、1910年代から20年代にかけて、松方幸次郎および大原孫三郎(実際の作品選択は画家・児島虎次郎)が蒐集した作品群。
シャルル・コッテ(1863-1925)
15点(うち国立西洋美10点、大原美5点)
リュシアン・シモン(1861-1945)
7点(うち国立西洋美6点、大原美1点)
アンドレ・ドーシェ(1870-1948)
4点(うち国立西洋美2点、個人蔵2点)
バレンティン・デ・スビアウレ(1879-1963)
1点(大原美)
「バンド・ノワール」の中心的画家であるシャルル・コッテについては、松方コレクションには、油彩作品に限っても、27点もの作品があったという。
27点の現所在は、次のとおり。
・国立西洋美術館 22点
・ジールハウス 1点
・サカタのタネ 1点
・個人蔵 1点
・所在不明 2点
あまり散逸していない。
多くがフランスで保管され、その間売却されることなく、フランス政府に留め置かれることもなく、寄贈返還に至ったようだ。
何故、松方や大原は、多くのコッテを蒐集したのだろう。
以下、2019年の国立西洋美術館「松方コレクション展」図録より引用する。
おそらくベネディットの強い勧めにより、松方はコッテの油彩画27点(M290-M316)、エッチング7点(M2422-M2428)を購入した。
のちに矢代幸雑から「当時より少し以前の流行作家」と回想されたコッテだが、1910年には国民美術協会の理事に選出されるなど美術界における有力画家のひとりで、ベネディットのきわめて親しい友人でもあった。
1918年に続いて1921年に松方は多くのコッテ作品を購入したが、同時期にベネディットはこの画家の個展を精力的に主催していた。
だがもとより海や労働の主題を好んだ松方にとって、暗澹たる海や野趣溢れる荒地、武骨さと敬虔さを備えたブルターニュの人々を描くコッテの作風は、ブラングインのそれにも似て心に響くものがあったのだろう。
レオンス・ベネディット(1859-1925)は、松方が知己を得た当時、パリのリュクサンブール美術館の館長で、ロダン美術館開設準備の中心的人物であった。
松方は、ベネディットを通じて、ロダン作品を入手する。ベネディットにとっては、松方からの大型発注が美術館開設の資金援助となる。また、ベネディットは、松方のフランス美術収集のアドバイザー的な役割を果たす。
美術史家・美術館人として当時のフランス美術界の中枢にいたベネディットの協力は、松方の収集の強力な手助けとなるが、同時代のサロンで活躍する画家を中心に穏当な作品が松方コレクションに集まる結果ともなる。
シモンについても。
松方コレクションにはベネディットの仲介で入手された油彩4点(M988-M991)と水彩4点(M1798-M1801)があった。
このうち水彩画の《養老院》(M1798)は画家が松方に送ったものである。
なお、日本でもすでに1910年、『美術新報』誌にシモンの紹介記事が掲載されていた。
松方コレクションのシモン作品8点中、7点を国立西洋美術館が所蔵し、水彩1点《少女》を個人からの寄贈により横浜美術館が所蔵している。
このような背景で、当時人気画家であったらしい、コッテやシモンの作品が日本に集まった。
コッテやシモンの作品は、大原美術館は分からないが、国立西洋美術館では、2019年「松方コレクション展」でも、常設展に展示されても、ともに1点どまりと、見る機会は少ない。
だから、本展は、松方コレクションで光が当たることの少ない作品をまとめて見ることができる貴重な機会でもある。
以下、撮影可能作品を中心に。
シャルル・コッテ
《悲嘆、海の犠牲者》
1908-09年、国立西洋美術館
263×347cmの大画面は、松方コレクションのなかでも最大級の油彩画。
名もなき漁夫に、キリストの死を重ねて、荘重な聖性を与える。
本作は、1908年の発表当時から、画家の代表作とみなされ、のちにほぼ同寸で制作されたヴァリアントを国家が買い上げ、現在オルセー美術館に所蔵されるという。
シャルル・コッテ
《行列》
1913年、国立西洋美術館
(常設展展示時に撮影)
リュシアン・シモン
《ブルターニュの祭り》
1919年頃、国立西洋美術館
リュシアン・シモン
《婚礼》
1921年頃、国立西洋美術館
(常設展展示時に撮影)
リュシアン・シモン
《庭の集い》
1919年、国立西洋美術館
上記以外。
ブルターニュの女性を描いた、コッテ《ブルターニュの老婦》、シモン《ブルターニュの女》(いずれも国立西洋美術館蔵)。
ブルターニュの戦争未亡人と遺児たちを描いた、シモン《墓地のブルターニュの女たち》(国立西洋美術館蔵)。
また、バレンティン・デ・スビアウレ《聖アンナの祭日》(大原美術館蔵)。スペイン人画家であるが、一時期、ブルターニュでグループと共に行動していたことがあったらしい。
なお、コッテ、シモン、アンドレ・ドーシェの作品は、SOMPO美術館で開会中の「ブルターニュの光と風」展においても、ブルターニュのカンペール美術館所蔵作品を見ることができる。
〈参考:「ブルターニュの光と風」展より〉
シャルル・コッテ
《海》
1903-05年頃、カンペール美術館
ブルターニュ半島最西端に突き出たクロゾン半島の先端カマレの無人の海岸を描く。
コッテは、同地に移住し、この漁村の住民と親しく交流し、彼らの船旅に同行するなどして、漁師たちが日々直面する過酷な日常に接し、制作の糧とした。
シャルル・コッテ
《嵐から逃げる漁師たち》
1903年頃、カンペール美術館
怪しい雲行きから嵐の到来を察知した漁師たちが、舟を引き上げ帰路につく様子を描く。
リュシアン・シモン
《じゃがいもの収穫》
1907年、カンペール美術館
シモンはブルターニュの各地で制作していたが、 1901年にサント=マリーヌの灯台を購入したのを機に、最終的にはビグダン地方を主な着想源とし、同地の過酷な労働という主題に集中的に取り組んだ。
本作は、日常的に風雨が吹き荒れるような決して肥沃とは言えない土地で、人々がじゃがいもを掘り、袋に詰め、運搬するという収穫の諸段階を一つの画面に描く。
【本展の構成】
1 見出されたブルターニュ:異郷への旅
(1)ブルターニュ・イメージの生成と流布
(2)旅行者のまなざし:印象派世代がとらえた風景
2 風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派の土地と精神」
3 土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち
(1)アンリ・リヴィエールと和訳されたブルターニュ
(2)モーリス・ドニと海辺のアルカディア
(3)「バンド・ノワール」と近代ブルターニュの諸相
4 日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし