あやしい絵展
2021年3月23日〜5月16日
(臨時休館:4月25日〜5月11日→休館継続により再開することなく閉幕)
東京国立近代美術館
島成園(1892〜1970)
大阪府堺市の生まれ。画工である父と兄の仕事を手伝いつつ、絵を独学で学ぶ。北野恒富に私淑。
大正元(1912)年、20歳にて《宗右エ門町の夕》が第6回文展に初入選。京都・東京中心だった日本画壇に、大阪から彗星の如く現れた若い女性新人画家は評判となり、京都の上村松園・東京の池田蕉園とともに「三都三園」ともてはやされる。このためゴシップにも悩まされている。大正5(1916)年、木谷千種、岡本更園、松本華羊と「女四人の会」を結成。
✳︎右から2人目が成園。
大正9(1920)年、意に添わぬ結婚。銀行員である夫の重なる転勤に同行。作品は急速に形式化し制作数も減ったとされる。
本展の出品作は3点。
【前期】1点
島成園
《無題》
大正7(1918)年、85×108cm
大阪市立美術館
描かれた女性はその顔立ちから、成園自身であるとされる。その目元には大きな痣。成園本人にはなかった。成園は本作について「痣のある女の運命を呪ひ世を呪ふ心持を描いた」と語っている。
【期間限定3/23〜4/4】1点
島成園
《おんな(旧題名:黒髪の誇り)》
大正6(1917)年、161.3×63cm
福富太郎コレクション資料室
般若など能面柄の着物から胸をはだけ、長すぎる髪を梳く、その目。
現在、東京ステーションギャラリー「コレクター福富太郎の眼」展にて絶賛展示中(臨時休館中)。
【後期】1点
島成園
《鉄漿(おはぐろ)》
大正9(1920)年、42.5×45cm
大阪市立美術館
身繕いに一心の姿。
成園の「あやしい絵」としては、本展非出品作以外では、次の作品が特に知られているようだ。
島成園
《伽羅の薫》
大正9(1920)年
大阪市立美術館
母親をモデルとして、島原の遊女を描く。
大阪市立美術館は、画家本人および遺族から寄贈された88点の作品を有するとのことで、昨年(2020年)には全てが自館所蔵作品からなる「没後50年 浪華の女性画家 島成園」展を開催している。また、一昨年(2019)年に生地・堺市でも回顧展「堺に生まれた女性日本画家 島成園」が開催されている。
島成園の「無題」に関連し、インターネットで読める論文もありました(下記)。「無題」を直接扱ったものではありませんが、「無題」の約6年後に描いた「自画像」(大阪市立美術館蔵)を取り上げ、同じ自画像でも「無題」と比べどう変化していったのかが論じられています。この「自画像」の方は「心身共に疲弊した結婚後の自身の姿を、第三者的に突き放してとらえている」そうです(「島成園と浪華の女性画家」2006東方出版)。また、下記論文によれば、「自画像」の左上に描かれた羽子板のモデルは「心中天網島」の治兵衛ではないか、とのこと。そうであれば北野恒富が大正2年頃に「道行」を描いた10年後くらいに、弟子の島成園が同じテーマを念頭に置いていたことになり、上に書いた「心身共に疲弊した自身の姿」と合わせ、どのように解釈すればいいのか、興味が尽きません。
なお、貴ブログ本文でも「意に添わぬ結婚、夫の重なる転勤」による画業の低迷のことが述べられ、私が読んだ何冊かの本でも同様のことが書かれていましたが、上記「自画像」やその翌年と思われる「上海にて」(大阪市立美術館蔵)などは、結婚後でもとても魅力的な作品と思います。特に「上海にて」は没後50年展(大阪市立美術館2020年)のポスターにも採用されているぐらいですから、この時期の作品の中でも評価が高いと思います。いつかは見たい作品です。
伊藤たまき 島成園の自画像について 筑波大学芸術学研究誌 藝叢 19巻2003
file:///C:/Users/m9u8r/Downloads/geiso_19-1%20(3).pdf
著作権の関係で図版が掲載されていません。画集などで確認しながら読む必要があります。
※ 緊急事態宣言が延長されたことにより、福富太郎コレクション展の行方もちょっと怪しくなってきました。6月からは再開されることを祈っています。
コメントありがとうございます。
北野恒富については、2017年の千葉市美術館での没後70年の回顧展を見ています。改めてネット確認すると、島成園の作品も2点出ていました。
地元の図書館には、恒富や成園関係の書籍は見当たらず、今借りているのは小学館の『日本美術全集17巻 前衛とモダン』ですが、 恒富は《鏡の前》、成園は《上海にて》が取り上げられていました(同じ頁の上下で図版が掲載)。
《上海にて》の作品解説には、「その(結婚)後、急速に形式化し作品数も減っていく画家の最後の光芒を放ったような傑作である」とあり、気になっていたところです。
《自画像》はコメントをいただいて初めて知りましたが、羽子板のモデルは「心中天網島」の治兵衛だとすると・・・、これも非常に気になる作品となりました。
ともに大阪市立美術館の所蔵で、首都圏に来る機会はなかなかなさそうですが、気長に待ちたいと思います。
昨晩はNHKのプロ野球中継を観たのですが、美術館・博物館が休業なのに、東京ドームの15,000人近くの観客には複雑な思い。
東京ステーションギャラリーの展覧会、再訪希望の私も、6月には再開できることを願うところです。
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/48124
また、この筑波大学の藝叢 第26号(2010年)に 土井雅也「鏑木清方の画業 《妖魚》の解釈を通して」という論文(大学院の卒業論文抄)がありますが、残念ながらネットでは公開されていないようです。
さらに、成城美学美術史の第23号(2017年)に篠原聰「鏑木清方筆《刺青の女》をめぐって」という論文があります。今回の東京ステーションギャラリー特別展「福富太郎の眼」出品作なので、ご参考まで。
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3999&item_no=1&page_id=13&block_id=17
訂正のご連絡ありがとうございました、