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藤のフリーズ、アガパンサス -【再訪】「モネ 睡蓮のとき」(国立西洋美術館)

2025年01月26日 | 展覧会(西洋美術)
モネ 睡蓮のとき
2024年10月5日〜2025年2月11日
国立西洋美術館
 
 
 2025年1月、モネ展を再訪する。
 
 モネ展では、2024年12月21日以降の土日祝および2025年2月の全日程において、日時指定券を導入した。
(導入前にチケット購入済み等の人は、日時指定なしで入場可。また、美術館窓口での当日分の日時指定券販売もある模様)。
 あらかじめ土曜日午後の日時指定券を確保して訪問する。入場指定30分枠の真ん中くらいの時間に到着するが、入場まで10分ほど並ぶ。
 
 
 再訪なので、2つのお目当てを決めている。
 
 
 1つは、モネの池の「睡蓮」を描いた最初期の作品2点。
 
 43歳のときにジヴェルニーに移住したモネは、1890年(50歳)、邸宅と土地を正式に購入し、1893年(53歳)、自宅の南側に隣接する土地を購入し、「水の庭」の造成に着手する。
 池の水底に睡蓮が根付いたのは1897年(57歳)頃。モネは睡蓮を描き始める。
 
 最初期(1897-99年)の「睡蓮」は8点ほどが知られているらしいが、本展にはうち2点が出品されている。
 
No.16
《睡蓮、夕暮れの効果》
1897年、マルモッタン・モネ美術館
 
No.17
《睡蓮》
1897-98年頃、鹿児島市立美術館
 
 この2点はすごく良い。特に鹿児島。
 マルモッタン・モネの作品は、どちらかと言えば、すなおに睡蓮の花自体を描いたような感じだが、鹿児島の作品は、後年の荒々しい感じがすでに見受けられるところが魅力。このような貴重作を国内美術館が所蔵していることに感心する。
 
 
 
 もう一つのお目当ては、第2章「水と花々の装飾」の作品、特に、「藤のフリーズ」と「アガパンサス三連画」。
 
 1920年9月、モネと国との間で取り決めがなされる。
 モネは、最新の装飾画12点を国に寄贈する。
 国は、ロダン美術館の建物「オテル・ビロン」のある敷地に、その装飾画だけを展示する専用美術館を設置する。
 
 この「ロダン美術館の横にモネ美術館」計画は、財政上の事情等によって実現しなかったが、モネは、4つの主題による12点の装飾画、加えて装飾画のうえに「藤のフリーズ(帯状装飾)」を構想していた。
 
No.30&No.31
《藤》
1919-20年頃、マルモッタン・モネ美術館
 
 「オテル・ビロン」計画のための「藤のフリーズ」習作は8点が知られているというが、そのうちの2点。
 モネの庭の「太鼓橋」を飾る藤棚が、大サイズの横長(縦1×横3m)の作品2点により展開される。その豊かな色彩に見惚れる。
 
No.33
《アガパンサス》
1914-17年頃、マルモッタン・モネ美術館
 
No.34
《睡蓮》
1914-17年頃、アサヒグループ大山崎山荘美術館
 
No.35
《睡蓮》
1914-17年頃、マルモッタン・モネ美術館
 
 4つの主題による12点の装飾画の構想は、「緑の反映」2点、「雲」3点、「アガパンサス」3点、「三本の柳」4点。
 本展には、「アガパンサス」三連画にかかる習作3点が展示される。うち1点を国内の美術館が所蔵しているのは凄いこと。
 
 見ていると、千葉・佐倉のDIC川村記念美術館で観たばかりのマーク・ロスコ「シーグラム壁画」を思い起こす。
 なんか似ている。
 どちらも、それ専用の展示室に展示されることを前提とした、複数の大サイズ画面からなる装飾壁画。
 抽象表現主義の世界。
 モネを眺めながら、ロスコをもう一度見に行きたくなる。
 
 
 オランジュリー美術館の4主題・22点のパネルに結実するモネの大装飾画。
 そこでは、「藤」のフリーズも「アガパンサス」の主題も採用されていない。
 
 
 
 最後に、エピローグ「さかさまの世界」。
 
No.66
《枝垂れ柳と睡蓮の池》
1916-19年頃、マルモッタン・モネ美術館
No.67
《睡蓮》
1916-19年頃、マルモッタン・モネ美術館
 
 ここでも、ロスコ「シーグラム壁画」を思い起こす。
 しかし何故この2点は、第3章ではなく、エピローグに置かれたのだろう。オランジュリー美術館の最終作に最も近いと考えたのだろうか。


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