東京でカラヴァッジョ 日記

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ホドラー展【その2】(国立西洋美術館)

2014年10月12日 | 展覧会(西洋美術)

フェルディナント・ホドラー展
2014年10月7日~2015年1月12日
国立西洋美術館


 ホドラーの初期から晩年までの作品約100点。
 章立ては、次のとおり。

PART1:光のほうへ-初期の風景画
PART2:暗鬱な世紀末?-象徴主義者の自覚
PART3:リズムの絵画へ-踊る身体、動く感情
PART4:変幻するアルプス-風景の抽象化
PART5:リズムの空間化-壁画装飾プロジェクト
PART6:無限へのまなざし-終わらないリズムの夢
PART7:終わりのとき-晩年の作品群


 

以下、章をおって記載する。

PART1:光のほうへ-初期の風景画

 1853年ベルンに生まれる。
 14歳でトゥーンの風景画家のもとに弟子入り、観光客の土産物用の風景画制作に携わる。17歳(1870年)その工房を逃げ出す。
 本展は、1871年作の風景画から始まる。署名があるので、工房を逃げ出した後の作品。土産物用としての制作ではないだろうが、その雰囲気を残す。
 4点目からガラッと変わる。明るい色彩の風景画が6点。

No.5≪スペインの風景≫1878-79年、スイス・個人蔵
 小さく描かれる、草原に寝そべる人物にも目が行く。
No.6≪レマン湖畔の柳≫1882年頃、ヴィンタートゥール美術館
 2010年のヴィンタートゥール美術館展で来日した作品じゃないかなあ。


PART2:暗鬱な世紀末?-象徴主義者の自覚

 象徴主義作品前、1876-86年制作の人物を描いた画。

No.11≪怒れる人(自画像)≫1881年、ベルン美術館
 当初サロン出品時の題名は≪狂人≫。
No.14≪ベルン州での祈り≫1880-81年、ベルン美術館
 大型の宗教作品。クールベを思い起こさせる。
No.18≪思索する労働者≫1884年、ジュネーヴ美術・歴史博物館
 鋸を右手に握りつつ、作業を止め、何かを考え始めた老年の男性。
No.23≪傷ついた若者≫1886年、ベルン美術館
 画面に横たわる若者。No.12やNo.101もそうだが、スイスの画家は大なり小なり、バーゼル美術館蔵のホルバイン作≪墓の中の死せるキリスト≫の影響を受けるようである。三菱一号館美術館で見たヴァロットンの作品ほどの直接的な表現はしないとしても。


PART3:リズムの絵画へ-踊る身体、動く感情

 象徴主義、パラレリズム(平行主義)の作品。

パラレリズム;
 類似し合う「身振り」を反復し、それらをしばしば左右相称に配置することで、カンヴァスの上で連鎖しつつ交響する、集合的なイメージの「リズム」を生みだそうとする。

No.24≪オイリュトミー≫1895年、ベルン美術館
No.27≪感情III≫1905年、ベルン州美術コレクション
No.28≪昼III≫1900-10年頃、ルツェルン美術館
No.35≪春III≫1907-10年頃、スイス・個人蔵
No.37≪遠方からの歌III≫1906-07年、ジュネーヴ美術・歴史博物館
など

 本展のメイン章。なぜか第3ヴァージョンが多い。


PART4:変幻するアルプス-風景の抽象化

 ホドラーのもう一つの柱、アルプスの山を描いた作品、アルプスの山と湖を描いた作品、アルプスの渓流を描いた作品、1905-16年制作の16点が1室に並ぶさまは壮観。
 このなかのマイベストは、No.45≪トゥーン湖とニーセン山≫1910年、スイス・個人蔵。


PART5:リズムの空間化-壁画装飾プロジェクト

 本展のもう一つのメインがPART5と6。
 PART5では、下記4点の壁画装飾プロジェクトに関する習作等が展示。

1:マリニャーノからの退却(スイス国立博物館、チューリヒ)
 1897年 紹介映像あり。
2:独立戦争に向かうイェーナの学徒出陣(ドイツ・イェール大学)
 1907-08年
3:全員一致(ドイツ・ハノーファー市庁舎会議室)
 1912-13年
4:ムルテンの戦い(スイス国立博物館、チューリヒ)
 1915-未完

 壁画は現存しているのだろうか?(1,4はあるようだが、3は?)

 さらに、スイスの紙幣のデザインを担当したホドラー。
 紙幣現物(1911-58年流通)と作品が展示。

50スイス・フラン紙幣
No.76≪木を伐る人≫1910年、ベルン・モビリアール美術コレクション

100スイス・フラン紙幣
No.77≪草を苅る人≫1910年頃、ベルン美術館

 この2点は、人気があったらしく、前者は19、後者は10のヴァリエーションが確認されているとのこと。


PART6:無限へのまなざし-終わらないリズムの夢

 新建築されたチューリヒ美術館、階段吹抜けの壁面を飾る≪無限へのまなざし(チューリヒ・ヴァージョン)≫。
 その実物大白黒パネルと関連する習作等が展示。紹介映像あり。


PART7:終わりのとき-晩年の作品群

No.101≪バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル≫1915年、チューリヒ・コーニンクス財団

 1915年、晩年のミューズ・愛人だった女性が死去。
 ホドラーは危篤の、そして死の床にある彼女を「尋常ならざるほど大量に描いた」そうである。

No.103≪白鳥のいるレマン湖とモンブラン≫1918年、ジュネーヴ美術・歴史博物館
No.104≪午後のレマン湖とモンブラン(3月)≫1918年、スイス・個人蔵
No.105≪緑のジャケットの自画像≫1917年、スイス・個人蔵

 1918年ホドラーが死去する年に描かれた風景画、その前年の自画像で本展は締められる。
 風景画は、アトリエではなく、自宅の室内の窓越しに描かれたとのこと。


 実に素晴らしい展覧会。たいへん満足し、鑑賞時間(14:30まで)ぎりぎりに会場を出る。
 なお、プレス内覧会の後、正式なオープニング・セレモニーが開催されたようだ。 



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