東京でカラヴァッジョ 日記

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生誕290年記念 勝川春章(太田記念美術館)

2016年03月25日 | 展覧会(日本美術)

生誕290年記念 勝川春章 
-北斎誕生の系譜
2016年2月2日~3月27日
太田記念美術館

 

   今年は、勝川春章(1726?-1792)の生誕290年?らしい。


   出光美術館では春章の肉筆美人画展を開催しているが、どちらか一つを選ぶなら、千葉市美術館で「初期浮世絵展」を見たばかりで、その続きの時代なら楽しみやすいかなあと、太田記念美術館での浮世絵版画展を選択する。


   訪問は後期。前期は訪問していない。作品は、ほぼ前後期総入替である。

 

1  役者絵 - 似顔表現の革新

   春章の前半生は未詳。知られる最初期の作品は、1768年出版の役者絵。
   「役者の似顔をリアルにとらえた斬新なもので、一世を風靡する。役者の人体や衣服のリアリティも追求した勝川派の作風は役者絵の主流となる。」

No.40 勝川春章《楽屋の三代目沢村宗十郎》

 

2  美人画 - 春信からの脱却、肉筆美人画への軌跡

   鈴木春信の作品から始まる第2章。1765年に錦絵(多色摺木版画)が完成し、春信の美人画が大人気を博する。
   余りの大人気ぶりに、当時の美人画を描く浮世絵師は、春信の画風を模倣するほかなかった。
   春章も、初期の美人画は春信の影響を強く受ける。相貌や人体表現は春信と類似する。その後、徐々に独自の表現を模索。その試みはついに肉筆美人画に結実する(→出光美術館展覧会へ)。

あぶな絵系に目が行く。

No.88 勝川春章《縁先美人》

No.101 勝川春潮《夕立》(画像は部分)

 

3  相撲絵 - 新ジャンルの開拓

   相撲絵は、春章が開拓した新分野らしい。勿論、それ以前にも散発的に描かれているが、継続的に描いたのは春章。背景には、当時の相撲ブームがある。1782年のこと、63連勝中の大関・谷風梶之助を小野川喜三郎が破ったことを機に、以降両者の取組が名勝負として取り沙汰され、相撲人気に火を付けた。

   個人的には、この相撲絵を一番興味深く観る。

No.109 勝川春章《小野川喜三郎 谷風梶之助 行司 木村庄之助》


4  武者画、風景画他 - 多彩な表現領域


5  春章から写楽・豊国へ - 役者絵の隆盛

   1792年、春章が亡くなる。同門の春好も中風により活動を抑え、春英が活動を続けている。
   1794年、歌川豊国が新たな新役者絵で登場する。続いて写楽が彗星の如く現れて1年で姿を消す。この1年で、豊国の歌川派が役者絵を刷新し、勝川派の役者絵は事実上終焉を迎える。


大首絵の先駆

No.139 勝川春好《四代目岩井半四郎》
No.140 勝川春好《三代目瀬川菊之丞》

 

 

6  春章から北斎へ - 勝川派を飛び出した異端児・北斎

   1778年、数え年19歳で春章の門下となる。春朗を名乗る。
   1792年の春章の死を契機に勝川派を離れる。

 


   実は、春章って誰?という状態で、でも2美術館が連携するほどの浮世絵師だし、どっちかは見ておいた方がいいかな、という感じで訪問したのだが、写楽や北斎との前後関係・繋がりを伺うことができて楽しめた。



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