東京でカラヴァッジョ 日記

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オットー・ネーベル作品の地層を鑑賞する(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2017年12月02日 | 展覧会(西洋美術)
オットー・ネーベル展 
シャガール、カンディンスキー、クレーの時代
2017年10月7日〜12月17日
Bunkamuraザ・ミュージアム
 
 
オットー・ネーベル
 
1892年、ベルリン生。
1914-18年、軍役に就く。18-19年、戦争捕虜としてイングランドの収容所に拘束。
1933年、ベルリンからスイス・ベルンに移住。
1952年、スイス市民権取得。
1971年、ベルンにオットー・ネーベル財団設立。
1973年、ベルン没。
 
 
   ネーベルは、バウハウス在籍自体はしていないが、バウハウスの教師の助手を務めていた女性と結婚後、数ヶ月バウハウスが所在するワイマールに滞在し、クレー(1879年生)やカンディンスキー(1866年生)と交友を結ぶ。特にクレーとは、共にスイス・ベルンへ移住した後も、定住許可証なし、就業の禁止、そんな亡命者の苦しい境遇を託ちあうような、家族ぐるみの親しい交流を続けたようだ。
 
 
 
   本展には、ネーベルの作品に加えて、クレー、カンディンスキー、シャガール、マルクなど、ネーベルが影響を受けた画家の作品も展示。
   特にクレーについては、国内所蔵のみならず、ベルンのパウル・クレー・センターやから意外と多くの出品があって得した気分になるが、オットー・ネーベル財団が所蔵するネーベル作品自体もパウル・クレー・センターに寄託されているという。
 
 
 
印象に残る作品 
 
オットー・ネーベル
《避難民》
1935年、オットー・ネーベル財団
 
    隣展示のクレーの線描画《移住していく》《恥辱》(ともにパウル・クレー・センター蔵)と合わせ、スイス移住(亡命)後の苦しい境遇を想起させる。
 
   諸先輩画家とは違って、ネーベル作品は、1937年の「退廃芸術展」や1939年のスイス・ルツェルン・オークションの対象となっていないよう、画業と名声はまだこれからの段階だったのだろう。
 
 
 
   オットー・ネーベルの名は本展開催で初めて知る。クレーやカンディンスキーなどの亜流かなあと想像しつつ、新たな出会いとなることも期待。
 
   
   鮮やかな色彩。距離を置いて見ているうちは、クレーやカンディンスキーに似た印象の絵画である。
   しかし、至近距離で見ると、印象が変わる。「モチーフや画面の構造」は似ていたとしても、「絵の作り方、絵具の塗り重ね方」が全く違うのである。
   会場内の画家紹介ビデオによってようやく気付かされたのだが、一見、単に色をべたっと塗っているように思える箇所でも、実は極細の線が「地層のように塗り重ね」られて作られているのである。例えば第一層に縦の極細線、第二層に横の極細線、第三層に斜めの極細線、第四層に点描。地も含め各層が見える。部分ごとに色や地層構成を変えつつ、画面全体で繰り広げられる。「堅牢、堅固」、たいへん手の込んだ作品である。
 
 
   それに気付かされた以降は、至近距離で作品の地層を鑑賞することがメインとなる。印刷では分からないその緻密さ、感嘆するばかり。新たな出会いである。
 


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