東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

《タラスコンの乗合馬車》と《アルルの寝室》-【その4】ゴッホ展-巡りゆく日本の夢(東京都美術館)

2017年11月27日 | 展覧会(西洋美術)
ゴッホ展
巡りゆく日本の夢
2017年10月24日〜18年1月8日
東京都美術館
 
 
 
《タラスコンの乗合馬車》
1888年 
ヘンリー&ローズ・パールマン財団蔵 (プリンストン大学美術館 長期貸与)
 
   馬車の車輪の白。車体の赤と緑。家の壁の黄色と白。空の青。その色彩の鮮やかさ。馬車だが、人物として見たくなる。
   日本初公開の作品。
 
 
   君はもう『タルタラン』物語は再読したかね。ああ、忘れないでくれ。『タルタラン』のなかの、タラスコンの往時の乗合馬車の嘆き、あのみごとなページを君は覚えているかね。ところで、僕は宿屋の中庭にある、赤と緑の、そうした馬車を描いたところだ。いずれ君も目にするわけだが。
   この拙速のスケッチで絵の構図はわかってもらえるだろう。灰色の砂地の単純な前景、背景もごく単純で、ピンクと黄色の壁と緑の鎧戸のある窓、青い空の一隅。二台の馬車は実に色鮮やかで、緑、赤、黄色の車輪、黒、青、オレンジ色。これも30号のカンヴァス。これらの馬車は厚塗りでモンティセリ風に描かれている。君は以前、浜辺の四艘の色鮮やかは小舟を描いたとても美しいクロード・モネの絵を持っていたね。ところで、それがこの絵では馬車だが、しかし構図は同じ類いだ。
1888年10月13日、テオあて手紙
 
 
   『タルタラン』とは、フランスの小説家ドーテ(1840-97)の小説『タラスコンのタルタラン』。『アルプスのタルタラン』『タラスコン港』と合わせて3部作の作品。タルタランは主人公の名前、タラスコンは主人公の故郷の町の名前でアルルの北20kmに位置する。
 
   タラスコンの乗合馬車。フランスに鉄道が開通し、アフリカに追っ払われる。そこでタラスコン時代にお客であったタルタランを乗せることとなる。馬車は、タルタランに過去の華やかだった頃の自分を語り、今の境遇を嘆く。
 
 
 
 
《アルルの寝室》
1888年
ゴッホ美術館
 
   「アルルの寝室」は、3点のバージョンが残る。
   本展出品のゴッホ美術館所蔵作品は、1888年にゴーギャンがアルルにやってくる前に制作された第一バージョンである。
 
 
   とにかく新しい構想が浮かんだわけで、それがこのスケッチということだ。やはり30号のカンヴァス。今度はごく単純に僕の寝室だ。ただ、ここでは色彩がちゃんとものを言わないといけない、そして色彩の単純化によって事物にもっと大きな風格を与えることで休息ないし睡眠一般がここに暗示されるようにしないといけない。つまり、この絵を見たとき、頭が、あるいはむしろ想像力が休まるようならないといけない。
   (略)ごらんのとおり構想は全く単純なものだ。陰影も投影も取り除かれ、日本版画のように平たい、純粋な色合いで彩色される。これは例えば『タラスコンの乗合馬車』や『夜のカフェ』と対照をなすものとなろう。
1888年10月16日、テオあて手紙
 
 
   そうか、《アルルの寝室》と《タラスコンの乗合馬車》は「対作品」というと正しくないけれども、《タラスコンの乗合馬車》は、《アルルの寝室》の制作プロセス上関係する作品だったのだ。所蔵者がオランダとアメリカと異なるその2点を並べて展示するとは、凄い。さすが国際共同プロジェクトである。
 
 
   《アルルの寝室》の他2バージョンは、1年後の1889年のサンレミ時代に第一バージョンを複製して描いた作品。
 
   第二バージョンはシカゴ美術館が所蔵。
 
   第三バージョンは、第一・第二よりサイズが小さい、縮小複製して描いた作品。
   松方幸次郎が1921年頃に購入。いわゆる松方コレクションである。
   第二次世界大戦中はパリ(→パリ近郊のアボンダン村へ疎開)で保管して難を逃れたが、1959年のフランス政府からの寄贈の対象から外れ、現在、オルセー美術館の所蔵となっている。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。