ゴッホ展
巡りゆく日本の夢
2017年10月24日〜18年1月8日
東京都美術館
1888年2月、アルルにやってきたゴッホ。同年5月30日から5日間、アルルから約50kmほど離れた地中海岸の漁村サント=マリー=ド=ラ=メールに滞在する。ゴッホ初めての地中海である。
サント=マリーでは、「食事つき1泊4フラン」の宿に泊まり、「セーヌの河岸よりもうまい小魚のフライ」を食べ(ただし「漁夫たちはマルセーユに売りに行くから毎日食えるわけではない」)ながら、3点ほどの油絵とそれよりは多くの素描を制作、アルルに戻ってから素描をもとに油絵を制作したとされる。
本展には、サント=マリーを描いた油絵2点が出品されている。
《サント=マリーの海》
1888年、プーシキン美術館
画面の大半を占める海/波の描写。画面上部に寄せられた舟たち。波の厚塗り描写が印象的な作品。
1888年、個人蔵
高い地平線、画面を急角度で上る道、黄色い空、角度のある長い屋根の家並み。色彩と急角度が印象的な作品。
とうとう僕は地中海を見た。この海はおそらく君が僕より先に渡るのだろうが。サント=マリで1週間過ごした。そこまで行くには、乗合馬車に乗ってブドウ畑や荒れ地やオランダのような平坦な土地が続くカマルグを横断した。その、サント=マリにはチマブエやジョットを思わせるような娘たちがいた ー ほっそりして、真っ直ぐで、少し悲しげで、神秘的なのだ。全く平坦な砂浜の海岸には緑、赤、青の小舟があって、形も色も実にきれいで、花を思い浮かべるほどだった。
1888年6月6-11日、ベルナール宛手紙
チマブエやジョットを思わせるような娘たち?どんな人?こんな人?
チマブエ《六人の天使に囲まれた荘厳の聖母》部分、ルーヴル美術館
チマブエやジョットに疎い私、仮にチマブエやジョットを思わせるような人と遭遇したとしても、チマブエやジョットを想起することはあり得ないが、欧州の方々は普通に想起するのだろうか。私もブリューゲルなら経験があるけど。
空の青、雲の青、星の煌めき、海の青、浜の焦茶。
サント=マリーを描いた油絵は、他にも何点か残されている。
《サント=マリーの白い小屋》
1888年、チューリヒ美術館
2014年のチューリヒ美術館展に出品された、白が印象的な作品。
《サント=マリー海岸の漁船》
1888年、ゴッホ美術館
《サント=マリーの漁船》
1888年、ゴッホ美術館
《サント=マリーの眺め》
1888年、クレラー=ミュラー美術館
サント=マリー=ド=ラ=メールは、その名前(海からの聖マリアたち)からも分かるとおり、キリスト教の古い伝承を持つ町。
イエスの死後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベの3人のマリアと従者サラ、マルタ、ラザロたちがエルサレムから小舟で逃れてこの地へと流れ着き、マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラがこの地に残ったという伝承。
この地で没した2人のマリアが眠る教会であるとか、ロマ民族の守護聖人である従者サラの祭りが毎年5月(10月も?)にあって、ヨーロッパ中から集まってきたロマ民族が礼拝行列になって町や海岸を練り歩くとか、なかなか濃い観光地のようだ。
なお、サラの祭りが終了して1週間ほど経った頃にやってきた計算となるゴッホ。町の伝承を背景に、町の娘たちにチマブエやジョットを見たのだろうか。
また、上記のゴッホの手紙にも触れられた「カマルグ」。
カマルグ(サント=マリー=ド=ラ=メールも位置する)は、アルルで二又に分岐したローヌ川と地中海に囲まれた三角州地帯。特殊な動物相・植物相で知られる地域であるらしい。
北部の農村地帯ではフランスでは珍しい稲作とか、南部の湿地帯では、塩生植物で形成された珍しい生態系、フラミンゴの飛来などヨーロッパ有数の鳥類の生息地、牛や馬の放牧、半野生化した「カマルグの白い馬」の美しさとか。
アルルからサント=マリー=ド=ラ=メールまで乗合馬車で5時間ほどのカマルグの縦断。通る道にもよるのだろうが「荒れ地やオランダのような平坦な土地が続く」との表現から、ゴッホはカマルグに対して特段プラスの印象は持つことはなかったようだ。