
合田佐和子展
帰る途もつもりもない
2023年1月28日〜3月26日
三鷹市美術ギャラリー
合田佐和子(1940〜2016、高知市出身)。
一般書籍として販売されている本展図録の帯には、「アングラの女王」とある。
特に1960年代半ば以降1980年代にかけて、「怪奇幻想」な作風により「時代の空気を体現する」、「特殊な感性を持った」「容姿端麗な女性芸術家」として、さまざまな分野の表現者から支持されたという。
本展でも紹介されているが、メディアで取り上げられる際には、作家の近影が添えられる。
「特異な」「美貌の」女性芸術家としてだけではなく、狭い台所をアトリエ代わりにする、決して経済的に裕福ではない、娘2人を育てるシングル・マザーとしての面も見せるなど、セルフプロデュースに長けていたようだ。
【本展の構成】
1部 1940-1984
1-01 焼け跡からの出発
1-02 妖しき絵姿
1-03 演劇・映画の仕事-唐十郎と寺山修司とのコラボレーション・ワーク
1-04 変化・模索-ポラロイド写真、スケルトン・ボックスを中心に
間章 エジプト体験
2部 1986-2016
2-01 「12進法(シュールレアリスム)」時代の幕開け
2-02 「レンズ効果」
2-03 色えんぴつのダンス
1965年、美術評論家の瀧口修造(1903〜79)の勧めもあって、幼少からの廃品蒐集癖と少女時代からの手芸趣味を組み合わせたような「オブジェ人形」にて個展デビュー。
次第に、奇怪でエロティックな立体作品へシフトしていく。
1970年代からは独学で油彩画を描き始める。
主なモチーフは、往年の銀幕スターたち。
写真をもとに、欧米の俳優や著名人を描く。
1つのモチーフをそのままの作品のほか、複数の写真からのモチーフを組み合わた作品などが「独自のグレーがかった色調」により描かれる。
「状況劇場」の唐十郎や「天井桟敷」の寺山修司と、宣伝美術や舞台美術などで協働する。
本展では、宣伝ポスターとその原画を並べて展示するコーナーもある。
(蛇足だが、状況劇場のポスターで、最下部に西武美術館の展覧会を宣伝するものがある。1976年のドガ展や1980年のミレー・コロー展。これが、1977年のエルンスト展や1979年のエゴン・シーレ展だったならば、格段の迫力だったろうに。)
「特異な」「美貌の」女性芸術家のイメージを変えることなく、新たな領域での活動に見事に成功した合田。
しかし、写真をもととする油彩画制作は、やがて、発見がなくなったと、その制作ペースが落ちる。
ポラロイド写真、スケルトン・ボックスなど模索する。
転機は、1985年。
1978年の初めてのエジプト旅行にて衝撃的な既視感のあった、エジプト最南端の町アスワン近隣の血縁者ばかりが住んでいるような村に、娘2人を連れて移住する。
酷暑、衛生、プライバシー。住環境は非常に過酷であったらしい。永住するつもりだったようだが、結局1年で帰国する。
(その滞在記が、雑誌連載・書籍化されているようだ。)
エジプト滞在を機に、それまでの退廃的な作風を捨て去る。
本展の1部と2部では、会場の雰囲気がガラッと変わる。
1990年代以降は、光とパステル調の色彩に彩られた「独自の内的世界を感じさせる」作風へと変化を遂げる。
往年の銀幕スターたちを取り上げることもあるが、パステル調のスターたちは、過去作品とは似ても似つかない。
初期から晩年まで、出品作品や資料は約300点。
1970年代の油彩作品について、展示室内解説によると、前後関係に矛盾をきたした、歪みを帯びたイメージが頻出しているという。
その背景としては、狭い台所にイーゼルを立ててアトリエ代わりとしていたため、画面を離れて確認することができず、画中のモチーフ描写に少なからず影響を与えたのだという。
本展の鑑賞者の鑑賞環境も同じ。
スペース的に恵まれているとは言えない展示室に造られた狭めの順路の左右壁面にぎっしりと展示される作品。距離をとって観ることができない。先に巡回した高知県立美術館とはおそらくずいぶん鑑賞環境が違うだろう。でも、その詰め込んだ感が似つかわしく思ったりして、おもしろい。
次女の合田ノブヨ(コラージュ作家)が母・佐和子について語ったインタビュー動画も用意されている。
この絵を描いている母に「どうしてこの人吊るされてるの?」と尋ねたら「悪いことしたのよ」と。「どんな悪いこと❤️?(ワクワク)」と更に聞いたら「知らないわよ💢!!」と怒られた幼少期。大好きな作品でした。 https://t.co/M0d33aSzkk
— 合田ノブヨ (@goda_nobuyo) February 16, 2023
高知県立美術館
三鷹市美術ギャラリー