ゴッホ展 空白のパリを追う
2013年4月2日~5月19日
京都市美術館
関西プチ美術旅行を敢行した。
行き先は、京都で開催中の、関東に巡回しない展覧会2展である。
狩野山楽・山雪展の次に向かったのは、京都市美術館のゴッホ展。
本展は、長崎(済)・京都・宮城・広島と巡回し、関東には巡回しない。
ゴッホ好きの私にとって、今回プチ旅行のメインの行き先である。
京博から京都市美術館へはバスで向かう。
パリ時代に焦点を当てた本展。
ゴッホ作品は全51点で、全てが油彩画。
オランダ時代が4点、アルル時代が3点、それ以外はパリ時代で44点。
3点を除き、アムステルダムのファン・ゴッホ美からの出品である。
また、ゴッホの自画像が8点(すべてパリ時代)も出品されている。
2章構成。
第1章は「写実主義からモダニズムへ」。
オランダ時代3点、パリ時代13点、アルル時代3点の計19点の構成により、パリ時代のゴッホの試行錯誤、悪戦苦闘ぶり、変遷をたどる。
本章には、自画像3点が含まれる。
その1つが、「グレーのフェルト帽の自画像」。
2010年の国立新美のゴッホ展でも登場した作品だが、その時は随分離れた距離からの鑑賞であった。
今回はすぐ目の前で鑑賞することができる。
アルル時代の「耕された畑」。何と素敵な作品だろうか。
パリ時代の作品から、どうすればこんなに変わりうるのだろう。
本作は初見か、再見か。再見なら、今回パリ時代を経て本作品にたどり着くことによって、初めてその素晴らしさを感じることができた、ということか。
第2章は「クローズアップ「ファン・ゴッホ」」。
以下のテーマにそって数点ずつ、全32点(1点オランダ時代、他はパリ時代)が展示されている。
・何に描かれたのか?
・どのように描き始めたのか?
・絵の下に何が?
・どんな色だったのか?
・いつ描かれたのか?
・描かれたパリの屋根は?
・誰を描いたのか?
・どこを描いたのか?
・飛んでいる鳥は?
本章では自画像5点のほか、弟テオの肖像画も登場する。
以前は自画像と見られていたもので、今も必ずしもテオとは確定したわけではないようだ。
厚塗り作品の「エビとムール貝」。
エビの本物をコラージュしたかのような色彩。
「フィンセントの部屋からの眺め」
本作もいいが、参考としてパネル掲示の「パリの屋根」(アイルランド国立美)に惹かれる。是非一度見たい。
5点も出品されている「トルソ像」。
厚塗りか薄塗りかで制作年代の違いが分かるという。
厚塗りは1886年6-7月、薄塗りは1887年2-3月。
日本からやってきた木箱の蓋に描かれた作品「ヒアシンスの球根」。
裏面には「起立工商会社」の文字がある。本会社は、日本の物産や美術品を西欧に販売する目的で1873年に設立され、1878年にパリ支店も開設したが、1891年に解散したとのこと。
「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」
テオの未亡人ヨハンナのお気に入りだったらしく、アパートの客間に飾っていた作品だという。
ゴッホ展におけるパリ時代作品の定番「カフェにて:ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ」も登場する。
また、第1章の「セーヌの河岸」、第2章の「アニエールのレストランの外観」、大画面の「サン・ピエール広場を散歩する恋人たち」等、見ごたえがある作品が多数。
これまで日本では結構な頻度でゴッホ展が開催されてきた。
それら展覧会は、アルル時代以降の、ゴッホがゴッホである作品をメインとするが、その出品点数には限界があることから、結果として画業全体を振り返る、という感じの出品構成であったような気がする。
前回の2010年のゴッホ展のときには、なんとも贅沢なことに、食傷気味の感が避けられなかった。
2010年の食傷気味感は、今回のパリ時代に焦点をあてた展覧会の観賞により、きれいにリフレッシュされた。
改めてゴッホ好きであることを認識できた。
その理由は、パリ時代の作品が非常に興味深かったこと。加えて、アルル時代の作品「耕された畑」の素晴らしさに、やっぱりゴッホはアルル時代以降だな、アルル時代以降の作品を見ることができること自体が幸せなことだな、と改めて感じたことが大きい。
展覧会は結構混んでいる。
決して広い会場ではないこともあり、次の展示室で最前列で鑑賞しようとするための列が、その一つ手前の展示室まで伸びている状況であった。
今後会期が進むにつれて、さらに混雑することとなるだろう。
閉館時刻まで滞在した。
JR京都駅までバスで戻ろうとしたが、京都駅行きのバスは何台も満員でいつまで待っても乗ることができない。
周りもタクシーに切り替える人が出てくる。
仕方なく、京都駅には向かわないバスに乗り、途中で地下鉄に乗り換えることとした。
時間的には厳しいかもと思ったが、狭い道、相当の車規制をしているのだろうか、思いのほかバスは順調に進み、結果として時間には間に合った。