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関根正二《婦人像》《三星》 - 2020年12月の東京国立近代美術館所蔵作品展「MOMATコレクション」

2020年12月08日 | 東京国立近代美術館常設展
   今期(11/3〜2/23)の「MOMATコレクション」の3室「美術と生命」より。
 
 
関根正二
《婦人像》
1918年頃、78.0×60.0cm
東京国立近代美術館
   野外を夢遊病者であるかのように歩く成人女性。
 
 
関根正二
《三星》
1919年、60.5×45.5cm
東京国立近代美術館
   描かれた人物は、中央が画家自身、左が姉、右が画家が恋愛感情を抱いた女性とする説があるとのこと。
 
 
   2019年は、画家の生誕120年・没後100年にあたる年で、福島・津・鎌倉を巡回する回顧展が開催された。
 
 
3室「美術と生命」
 「生命」が芸術の中心に位置していた時代、芸術家たちの現実の生命はさまざまな疾病ととなりあわせでした。この部屋に並ぶ作品の作者たちは皆、意外に思われるほど早くに亡くなっています。
 
関根正二(1899〜1919)
村山槐多(1896〜1919)
中村彝(1887〜1924)
岸田劉生(1891〜1929)
速水御舟(1894〜1935)
萬鉄五郎(1885〜1927)
 
 
3室「美術と生命」の他の展示作品2選。
 
岸田劉生
《壺の上に林檎が載って在る》
1916年、40.0×29.5cm
東京国立近代美術館
 
 
萬鉄五郎
重文《裸体美人》
1912年、162.0×97.0cm
東京国立近代美術館
 
 
 
関根正二

1899年、福島県の現白河市で、農業と木端葺職人をしていた父の次男として生まれる。

1905年(6歳)、冷害と暴風のため、福島県内の水稲は76%減。東北一帯、天保の飢饉(1833〜39)以来の大凶作。
1908年(9歳)、家族に1年遅れで上京。現江東区住吉に住む。
1910年(11歳)、大水害。正二の家も浸水したと考えられている。
1914年(15歳)、東京印刷の図案部に入社。翌年退社。
1915年(16歳)、第2回二科展で初入選。翌年、3点入選。翌々年、1点入選。
1917年(18歳)、満潮に台風が重なり大水害。自宅は浸水し避難生活を送る。
1918年(19歳)、第5回二科展で樗牛賞を受賞。
1919年(20歳)、「1週間程以前より感冒の気味にて臥床中の處肋膜炎を併発し」自宅にて死去。
 
参照:関根正二展2019-20図録


2 コメント

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Unknown (tenchan-ganbare)
2020-12-09 08:17:02
MOMATコレクション 贅沢ですよね。もっと建物を大きくして、展示点数を多くするか、いつでも地方で巡回展をやるような体制にすれば良い。国民の財産なのだから。
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Unknown ()
2020-12-09 19:09:56
てんちゃん様
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりと思います。

それで、国立美術館のコレクション巡回展の開催状況を確認してみました。
http://www.artmuseums.go.jp/traveling/

国立美術館が毎年度輪番担当制で、コレクション巡回展を、概ね2箇所で開催しているようです。独立行政法人国立美術館が公募しています。
今年2020年度は京都国立近代美術館が担当で、北海道立旭川美術館と高崎市タワー美術館で開催。
2021年度は、国立西洋美術館がおそらく担当で、山形美術館と高岡市美術館で開催予定。
2022〜24年度は、国立国際美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館の担当順で、開催館の公募は締切済みのようです。

この枠組み以外にもあるのかもしれませんが、この枠組みでは各館4年に1回2箇所程度。「いつでも」とは程遠い体制ですね。
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