鉄道と美術の150年
2022年10月8日〜2023年1月9日
東京ステーションギャラリー
後期入りした本展。
鉄道が描かれた美術作品を通じて近現代の日本社会史を見る展覧会。
「鉄道」の開業&「美術」という言葉の誕生から150周年であることにちなんで、150点の美術作品の出品。
前後期で入替となる作品が少ないながらもあるので、再訪した次第。
(前期鑑賞時の記事はこちら)
以下、後期からの展示作品。
河鍋暁斎
《極楽行きの汽車(下絵)》「地獄極楽めぐり図下絵」より
1872年、河鍋暁斎記念美術館
11/6までは静嘉堂文庫美術館所蔵の本画が出品されていたが、11/8から下絵に展示替え。下絵も見応えあり。
本画と下絵との違いについて、解説では、下絵では蒸気機関車の煙突から煙が出ているが、本画には煙が見られないことに言及している。
当館では、2020-21年に暁斎の下絵だけの展覧会「河鍋暁斎の底力」展を開催している。
暁斎のパトロンである日本橋大伝馬町の小間物問屋の勝田五兵衛が、数え14歳で夭折した娘の一周忌の供養のために注文した本作。
娘がこの世の娯楽や地獄を巡って極楽往生するまでの旅の様子が描かれる全40図のうちの1図。
日本初の鉄道開業(1872.10)前であるが、品川・横浜間の仮営業が始まっていた頃の制作。
春盛
《大阪電車 大丸呉服店 案内双六》
1909年、鉄道博物館
ふり出しが梅田停留所、大阪市内の30ほどの停留所を周って(相当の遠回り?)、上りは大丸呉服店。
各停留所のコマには、大丸呉服店への方向・距離が記載されている。
織田一磨
《上野廣小路》〈東京風景〉より
1916年、東京国立近代美術館
創作石版画〈東京風景〉20景のうちの1景。
道路の広さと洋館の建物が印象的な上野広小路の風景。
西山英雄
《春雨》
1934年、京都市美術館
雨。地上の小さな駅に止まる緑色の電車は1車両編成。乗降客、踏切を渡る人々は傘を差している。
京阪線の四條駅の風景。
電車の前面プレートには「京都 直通 宇治」。ホームには「三條大津方面のりば」。「宇治方面のりば」のホームは、踏切の手前にあるので、描かれない。
高山良策
《池袋駅東口》
1947年、豊島区
空襲により灰燼と化した池袋周辺。
終戦後に池袋駅東口に形成されたバラックづくりの露店街「ヤミ市」の光景。
以上、5選。
再訪だし、前後期での展示替え作品は少ないし、それほど時間は要しないと踏んで、遅めの時間帯に入館する。
しかし後期からの展示作品は魅力的だし、通期展示作品も私を呼んでくるし、で、あっという間に閉館時刻が来てしまう。
「カイユボット作品を彷彿とさせる構図」鹿子木孟郎《津の停留所(春子)》1898年、三重県立美術館。
「日本の鉄道絵画の中で最も有名な作品」赤松麟作《夜汽車》1901年、東京藝術大学。
「光の電車、陰の人力車」近藤浩一路《京橋》1910年、東京藝術大学。
「黒鉄の巨体と苦役」鈴木亜夫《ターンテーブル》1916年、板橋区栗美術館。
「富士山を中心に日本列島の中央部分を縦に俯瞰する」不染鉄《山馬図絵(伊豆の追憶)》1925年、木下美術館。
「踏切番の夫に代わって、「通過可能」の白旗を振る母子の姿」岩佐保夫《踏切を守る母子(1)》《同(2)》1931年・1932年、米子市美術館。
「二・二六事件、日独防共協定締結の1936年当時の風俗が伺える車中の情景」石井鶴三《電車》1936年、東京藝術大学。
「南満州鉄道の特急電車「あじあ」が猛スピードで突き進む、染織作品」山鹿精華《驀進》1944年。
「1945年5月25日の大規模空襲による被害が生々しい東京駅に通勤客が往来する」伊藤善《東京駅(爆撃後)》1946年頃、東京駅。
「米軍に接収された列車上のふたりの女性車掌を撮る」笹本恒子《米軍専用車》1946年、東京都写真美術館。
「満面の笑顔を浮かべた復員兵士たちを撮る」林忠彦《復員(品川駅)》1946年、東京都写真美術館。
「従軍画家が描いた戦後の引揚列車の光景」田中佐一郎《三人掛け(引揚列車)》1947年、板橋区立美術館。
「秋田を旅立つ「金の卵」たちを撮る」大野源二郎《集団就職》1966年、秋田県立近代美術館。
「シベリアシリーズ」香月泰男《煙》1969年&《バイカル》1971年、山口県立美術館。
など。
たっぷりすぎるボリュームの、鉄道が描かれた美術作品を通じて見る日本近現代社会史。
時間と体力を充分に準備して鑑賞に臨みたい。