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挂甲の武人 国宝指定50周年記念
特別展「はにわ」
2024年10月16日~12月8日
東京国立博物館
東京国立博物館が所蔵する国宝《埴輪 挂甲の武人》。
昭和8年頃、群馬県太田市飯塚町の長良神社の敷地内で見つかったとされるが、詳細不明。
昭和27年、東京国立博物館が松原正業氏から購入。同氏は、埴輪修復のレジェンドであったらしい。
昭和33年、重要文化財指定。
昭和49年、国宝指定。2020年に「群馬県綿貫観音山古墳出土品」が国宝に指定されるまでは、唯一の国宝埴輪であった。
国宝に指定されてから50周年を迎えることを記念して開催される本展。
主役の国宝《埴輪 挂甲の武人》を中心に見る。
挂甲:大陸由来。鉄製の小片を繋ぎ合わせ、伸縮性に富む。体全体を覆う。
短甲:日本独自。大きな鉄板を組み合わせ、柔軟性がない。腰から上を防御。
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東京国立博物館所蔵の国宝「埴輪 挂甲の武人」5兄弟
東京国立博物館を代表する所蔵品である国宝の「埴輪 挂甲の武人」は、古墳時代の武人埴輪として最も武装しており、頭から足先まですべて防具で覆われている。細部をみても立体的で、かつ精巧に製作している。その国宝埴輪と同じ工房で製作された武人が、国内外に4体ある。
これら5体の埴輪は、靫(ゆぎ)や胡籙(ころく)を身につけ、下半身は防具もしくは袴をはく、などの差がみられる。一方で、弓を左手に持ち大刀を佩(は)く姿は共通する。
いずれも身分の高い人物を象り、群馬県太田市や伊勢崎市の有力古墳に立てられた。その姿は、戦場に出ている姿ではなく、儀礼に参加している姿だと解釈される。
No.55 国宝《埴輪 挂甲の武人》
群馬県太田市飯塚町出土、古墳時代・6世紀
東京国立博物館
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最初の国宝埴輪であり、頭から足まで甲冑を着用している稀有な人物埴輪。
バンク・オブ・アメリカの支援を受け、近年修理が完了するとともに、彩色復などの調査研究も進展した。修理に際し、弓を新たに復元している。
No.56 重文《埴輪 挂甲の武人》
群馬県太田市成塚市出土、古墳時代・6世紀
群馬・(公財)相川考古館
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背中に矢入具である靫(ゆぎ)を背負う。
彩色が良く残り、下半身の袴にある鋸歯文には、赤・白・灰を塗り分ける。
考古学者の相川之賀(1866〜1950)が収集した埴輪である。
*相川考古館(群馬県伊勢崎市)の概要
No.57 重文《埴輪 挂甲の武人》
群馬県太田市世良田町出土、古墳時代・6世紀
奈良・天理大学附属天理参考館
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昭和初期まで武人埴輪として最も良く知られていた。
✳︎昭和5年、国外流出危機を新聞各紙が報道。
胡籙を腰に提げ、下半身の袴は無文である。
腕が硬直したように下がり、整然と立つ姿が印象的である。
5体ある挂甲の武人で最も新しく製作された。
No.58 《埴輪 挂甲の武人》
群馬県伊勢崎市安堀町出土、古墳時代・6世紀
千葉・国立歴史民俗博物館
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矢入具である故籙(ころく)を腰に提げる。
両手は下にさがっており、静的な動作をしている。
シアトル美術館所蔵品と非常に類似する武人埴輪であり、1体分の破片から2体を復元したと一部研究者に疑われている。
No.59 《埴輪 挂甲の武人》
群馬県太田市出土、古墳時代・6世紀
アメリカ、シアトル美術館
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昭和35年に日米修好通商条約100周年を記念して、アメリカで約1年かけて埴輪の展覧会を行なった。
埴輪の熱が冷めないうちに、昭和36年に古美術商を介して本品は渡米、今回63年ぶりの里帰り。
No.55 国宝《埴輪 挂甲の武人》東京国立博物館
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No.56 重文《埴輪 挂甲の武人》(公財)相川考古館
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No.57 重文《埴輪 挂甲の武人》天理大学附属天理参考館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ac/8259befe7357bde16d4e7515fa3d568d.jpg)
No.58 《埴輪 挂甲の武人》国立歴史民俗博物館
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No.59 《埴輪 挂甲の武人》シアトル美術館
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No.55 国宝《埴輪 挂甲の武人》東京国立博物館
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No.56 重文《埴輪 挂甲の武人》(公財)相川考古館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b4/87df9a2fb77512c69db66284a268e4d2.jpg)
No.57 重文《埴輪 挂甲の武人》天理大学附属天理参考館
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No.58 《埴輪 挂甲の武人》国立歴史民俗博物館
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No.59 《埴輪 挂甲の武人》シアトル美術館
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東京国立博物館の国宝《埴輪 挂甲の武人》の彩色復元
No.61 国宝《埴輪 挂甲の武人(彩色復元)》
2023年制作、東京国立博物館
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白、赤、灰の3色があり、白は白土、赤はベンガラ、灰は白土にマンガンを混ぜて作ったと考えられる。いずれも製作地近辺で採取される物質を顔料にしたらしい。
もう一つの国宝《埴輪 挂甲の武人》
No.60 国宝《埴輪 挂甲の武人》
群馬県高崎市綿貫観音山古墳出土、古墳時代・6世紀
文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
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本埴輪は、2020年に国宝指定された「群馬県綿貫観音山古墳出土品」3,346点のなかの1点(東京国立博物館所蔵は単独での国宝指定)。
「埴輪 挂甲の武人」出品作
No.28《埴輪 挂甲の武人》
大阪府高槻市 今城塚古墳出土、古墳時代・6世紀
大阪・高槻市立今城塚古代歴史館
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No.49 《埴輪 挂甲の武人》
栃木県真岡市 鶏塚古墳出土、古墳時代・6世紀
東京国立博物館
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私的にこれまで埴輪に関心はなく、本展により初めてその世界・造形美に触れる。
その魅力に開眼!には至らないものの、今後、東京国立博物館の常設展示鑑賞の楽しみが増えた感じ。