田中一村展 奄美の光 魂の絵画
2024年9月19日〜12月1日
東京都美術館
田中一村(1908-77)。
私的には、2010年の千葉市美術館での回顧展以来14年ぶりに見る一村。
土曜日の15時頃の到着。
展示室内は大盛況。鑑賞列が途切れることなく続いている。この列について最初から一つ一つ見ていくのは辛い。
で、私的関心にしたがい、まずは奄美時代の作品から見ることとする。
東京時代、千葉時代、奄美時代とフロア単位で分ける本展、東京・千葉を突き抜けて、最上階の奄美に向かう。
観覧者は、シニア層の比率が高い。若い人はあまりいない。大盛況+シニア層の展覧会に遭遇するのは久々。死去7年後の1984年のNHK日曜美術館を機に一大ブームとなったという一村、その頃をリアルタイムで知る方々が集まってきているようだ。
一村が「閻魔大王えの土産品」と記したという代表作2点は、最後の最後に登場する。
《アダンの海辺》昭和44年、個人蔵
一村が購入者あてに添えた説明文も展示。
「アダン」とは果実の名前であることを知る。パイナップルと思っていた。食用ではないらしい。
精魂込めたらしい「夕雲」と「砂礫」。その描写を特に観る。
無落款の言い訳も。確かにないことを確認する。
《不喰芋と蘇鐡》昭和48年以前、個人蔵
アンリ・ルソーのジャングル画を想起させる。
植物の隙間から見えるのは、海に浮かぶ三角形の「岩島」。名瀬港の港外にある、灯台がある島。「立神」(海の向こうの楽園(ネリヤカナヤ)から神が来るときにまず立ち寄る場所)と呼ばれているらしい。
この2点のほか、《海老と熱帯魚》昭和51年以前、田中一村記念美術館 や《榕樹に虎みゝづく》《檳榔樹の森》昭和48年以前、田中一村記念美術館、未完となった作品2点など、奄美の一村に囲まれる。
ほかにおもしろく見たもの。
「写真肖像画」
写真をもとに鉛筆で描いた肖像画。見事な出来栄え。
移住者・一村は、地元の人々との関係を築くに際して、写真肖像画の技術が一助となったようである。
「葉書」
奄美の一村が支援者たちに宛てた葉書も何点が展示。読みやすい字。
千葉の海苔や落花生を送ってくれたことへの御礼。大好物なんだなあ、奄美では手に入らないのだなあ、また送ってあげよう、と思わせる文章。
大島紬の工場で染色工として働いて、お金が貯まったところで辞めて、絵に数年間専念するという計画も、物価高に負けた旨の嘆き節。石油ショックの時代と重なっている。
奄美ですべきことはやり終えたとし、次の場所に移る意向も。実現していたら、次はどこになったのか、一村の現在のありようも変わっているだろうか。
最後の最後の最後に、死の2年後に支援者たちにより開催された、個展「田中一村画伯遺作展」の図録が展示される。
一村の生前には実現することがなかった個展は、昭和54年11月30日〜12月2日の3日間、名瀬市中央公民館で開催され、約3000人もの島民が来場したという。
その個展の5年後の昭和59年、NHK日曜美術館に取り上げられ、一大ブームが始まる。
NHK日曜美術館から40年、東京美術学校(現東京藝術大学)に東山魁夷等と同級で入学したものの、2ヶ月で退学、その後は独学で自らの絵を模索した一村が「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたその機会が、上野の東京都美術館で実現する。