東京でカラヴァッジョ 日記

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世界遺産 ラスコー展(国立科学博物館)

2016年11月06日 | 展覧会(その他)

世界遺産 ラスコー展
~クロマニョン人が残した洞窟壁画~
2016年11月1日~17年2月19日
国立科学博物館


   「ラスコー」、「クロマニョン人」。言葉は知っているけど、断片的な知識しかなく、ましてや2つの言葉を結びつけたことはなかった私、面白く拝見させていただく。

 

   まずは、クロマニョン人の復元模型が入場者を迎え入れてくれる。

 

   現代人と変わらない。しかし、美形である。猿顔とまではさすがに思っていなかったが、本当にこんな美形だったのか?

 

   ラスコー洞窟のある、モンティニャック村周辺の紹介パネル。クロマニョン人遺跡のみならず、ネアンデルタール人遺跡もある、先史時代の遺跡の宝庫であるヴェゼール渓谷に位置する。

 

1  ラスコー洞窟壁画の歴史


1)2万年前。洞窟の入口には天井があった。その後、少しずつ崩れていき、幅の広い穴が残った。クロマニョン人はこの穴から洞窟に入ることができた。そして壁画を制作する。


2)およそ8000年前、崩れ落ちた岩石が堆積し、入り口がふさがれる。こうして自然に封鎖されたことにより、洞窟の壁画は奇跡的に保存される。


3)1940年、嵐で木が根っこごと倒れたため、洞窟の天井にひびが入り、地表に直径20cmの穴が開く。


4)1940年9月8日、当時17歳のラヴィダ少年の飼い犬がその直径20cmの穴に落ちる。4日後、友人3人とともに現場に戻り、穴を広げて洞窟の中に入る。壁画の発見である。


5)1940年9月17日、昔の教え子たちの話を聞いた村の教師が、9月21日、村の教師から連絡を受けた先史学者である神父が、壁画を見る。世紀の大発見であることを認識する。時はナチス・ドイツによるパリ陥落(6月)から間もない頃である。


6)1940年10月以降、写真家による洞窟の壁画の目録作成がはじまる。とともに、大発見のニュースを聞いた人々が何百人も訪れる。人が群がって混乱し、洞窟は一時的に閉鎖される。


7)道路、入り口、電気照明、階段、床など、見学者のための整備が行われ、1948年に洞窟の公開が再開される。1958年には空調設備もつけられる。1948〜1963年の間に100万人以上が洞窟を訪れる。発見者の少年たちのうちラヴィダ氏を含む2人はガイドとして働く。


8)洞窟には、緑、続いて白、黒のシミが発生しはじめる。処置を施すが改善が見られない。1963年4月17日、フランス政府は、洞窟を非公開とする。村は観光資源を失うこととなる。


9)1983年7月、本物の洞窟のすぐそば、200メートル隣に、洞窟の内部そのものを忠実に再現した立体レプリカ「ラスコー2」が完成・公開される。観光客がつめかける人気スポットとなる。

 

2  クロマニョン人による壁画

   ラスコーの壁画は、現存する世界最古の芸術かと思い込んでいたが、決してそうではない。

   4万数千〜1万4500年前のヨーロッパに住んでいたクロマニョン人による洞窟内の壁画は、フランスやスペインを中心に、300以上も残っているという。

   また、会場の年表式パネルによると、イタリア北部のフマーネ洞窟の壁画は4万年前(←これが最古らしい)、フランスのショーヴェ洞窟の壁画は3万6000年前とある。2万年前のラスコー洞窟の壁画は、断然新しい。クロマニョン人時代区分では最末期時代の壁画といえる。

   断然新しいのに、かつ一連の洞窟壁画発見のなかでも発見時期が一番遅かったらしいのに、なぜラスコーは私でもその名を知っているほど有名なのか。質、規模、保存状態によるものらしいが、フランスの文化戦略の成果でもあるのだろう。

 

3  ラスコー3

   ラスコー洞窟壁画の実物大レプリカが5点。国際巡回展用に最新技術を駆使して制作したものらしい。
   写真撮影可なので、撮影する。

《黒い牝ウシ》

   数分おきに室内の照明が落ちて、隠れた線刻がライトで浮かび上がる。「線刻」したうえで彩色するという、他に見られない特徴的な技法で制作されたことを強調する仕掛けである。


《井戸の場面》

 


4  クロマニョン人の彫刻

   ラスコー壁画の実物大レプリカ展示のあとに登場する、第6章「クロマニョン人の世界:芸術はいつ生まれたのか」を一番興味深く見る。

   フランス国立考古学博物館(サン=ジェルマン=アン=レー)およびフランス国立先史博物館(レゼジー)が所蔵するクロマニョン人の彫刻作品が並べられる(写真撮影不可)。
   見事な加工、立派なアートであることに感心するばかり。


   公式サイトで紹介されている作品から3点(画像は公式サイトより借用)。


《体をなめるバイソン》ラ・マドレーヌ岩陰遺跡(フランス)出土、マドレーヌ文化(約2万年から1万4500年前)、トナカイ角製、10.4×6.9×2.3cm フランス国立考古学博物館(サン=ジェルマン=アン=レー)所蔵[フランス国立先史博物館(レゼジー)寄託]

《ウマの彫像》エスペリューグ洞窟遺跡(フランス)出土、マドレーヌ文化(約2万年から1万4500年前)、象(マンモス)牙製、7.2×3.5×1.7cm フランス国立考古学博物館(サン=ジェルマン=アン=レー)所蔵

《ヴィーナス》グリマルディ洞窟遺跡(イタリア)出土、グラヴェット文化(約3万4000年から2万5000年前)、褐色の凍石製、4.7×2.0×1.2cm フランス国立考古学博物館(サン=ジェルマン=アン=レー)所蔵

 

 

   国立科学博物館の企画展を訪問するのは2回目である。つまりあまり行っていない。
   美術展とは勝手が違うなあとやや困惑しつつも、写真撮影可がありがたく、また勉強になる。国立科学博物館は「勉強」する場なのだ。



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