
三鷹市の太宰治ゆかりの場所めぐり
東京都三鷹市下連雀、上連雀にある太宰治ゆかりの場所をまわってみました(2024年7月6日)。
太宰治は、1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らし、「走れメロス」「斜陽」や「人間失格」などを三鷹で書いたということでしたので、その三鷹市にある太宰治ゆかりの場所を歩いてみました。
伊勢元酒店跡の位置
①伊勢元酒店跡(現在は太宰治文学サロンになっています)
「十二月八日」に店名が登場します。
②野川家跡(現在は永塚葬儀社)
山崎富栄の下宿先で、ここも仕事場にしていたとのことです。
③千種跡(現在はBrillia Mitaka)
ここも仕事場にしていたところとのことです。
④井心亭(市の施設)
平和通りを挟んで反対側に住んでいたとのことです。その太宰治の旧宅にあった百日紅(さるすべり)がこちらに移されています。
⑤連雀湯跡(現在はホンダドリーム吉祥寺)
「十二月八日」に、銭湯に妻が長女を連れて出掛ける場面があります。
⑥陸橋
1929(昭和4)年に竣工したものですが、ちょうど今取り壊そうとしてました。今はこの陸橋の上を歩くことは出来ません。
⑦中鉢家跡(現在は藤和シティスクエア三鷹駅前)
ここも仕事場にしていたところとのことです。
⑧うなぎ若松家跡
打ち合わせ場所にしていたところとのことです。
⑨田辺肉店離れ跡(現在はサイゼリア三鷹駅南口店)
ここも仕事場にしていたところで、「斜陽」を書き継ぐために借りたとのことです。
⑩太宰横丁
太宰治行きつけの小料理屋があったようです。
⑪玉鹿石
太宰治はこのあたりの玉川上水で入水しています。太宰治を偲んで、故郷である青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑としています。
伊勢屋元酒店跡(1)
伊勢屋元酒店跡(2)
野川屋跡
千種跡
井心亭(1)
井心亭(2)
井心亭(3) 百日紅
連雀湯跡(1)
連雀湯跡(2)
陸橋(1)
陸橋(2)
陸橋(3)
陸橋(4)
中鉢家跡
うなぎ若松屋跡
田辺肉店離れ跡・太宰横丁
太宰横丁
鹿玉石
玉川上水(1)
玉川上水(2)
玉川上水(3) 鹿玉石近く
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