gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

佐川城(2024年7月13日)

2024-07-19 22:02:32 | 日記

佐川城

高知県高岡郡佐川町上郷にある佐川城に行ってきました(2024年7月13日)。

最寄駅は佐川駅で、駅から歩いて25分ほどで登城口にたどり着きます。牧野公園の中の一角で、防獣のための門を開けて入ります。登城口からは10分ほどで主郭に到着します。現地の縄張図では、土佐の山城でよく見られる詰の段という書き方がされています。

主郭は堀切で二つに分けられています。南側には標柱が建てられています。北側には石垣があります。石垣のあるところには、詰の段から一度ニノ段に降りて、グルっと回り込むことになります。「土佐の山城」という本の表紙に使われている写真は、こちらの石垣ですので、行った際には見てみるのがよいかと思います。

現地の説明板によると、この城は長宗我部元親の重臣であった久武内蔵助が松尾城からこちらに移したとのことです。また、その後長宗我部氏から山内氏の支配になると、山内一豊の筆頭家老である深尾重良が入城しています。ただ、1616年の一国一城令により廃城となっています。

佐川城の位置

説明板

青源寺庭園

青源寺山門

青源寺本堂

登城口

縄張図

説明板

登城口の門

詰の段の標柱

三角点

詰の段の堀切(1) 上から撮影

詰の段の堀切(2) 堀底から撮影

詰の段の土塁(1)

詰の段の土塁(2)

詰の段の石垣(1)

詰の段の石垣(2)

詰の段の石垣(3)


飯田秋葉山砦、飯田城(2024年7月7日)

2024-07-17 02:56:45 | 日記

飯田秋葉山砦、飯田城

長野県北安曇郡白馬村大字神成飯田にある飯田秋葉山砦、飯田城に行ってきました(2024年7月7日)。

最寄駅は神城駅(かみしろえき)になります。登城口までは歩いて15分ほどになります。神城駅から南神城駅に向かって南に進み、道の駅白馬のあたりで西に曲がり、線路に突き当たったところをさらに線路沿いに南に進みます。線路をくぐるガードがあるので、そこから線路を横断し、北に向かって進んだところにあるのが登城口になります。夏のこの時期だと草で分かりづらくなっています。登城口からはつづら折りの道を登っていくと秋葉神社(秋葉様)にたどり着きます。そこからさらに進むと二本の堀切(東側の)がありますので、城域に入ったことが分かります。曲輪を抜けるとまた二本の堀切(西側の堀切)があります。この後、標高1013.6m(この辺りでは最高地点)の山頂を経由して一旦少し降りて、再度登ります。犬川の南側標高988mのところが飯田城になります。

日本城郭大系によると、「飯田集落の西方の山にある。天文年間、仁科氏の家臣大日向佐渡守の居城。弘治二年、山県昌景の手によって落城した。別称月夜沢城。」とのことでした。

飯田城、飯田秋葉山砦に向かう入口(突き当りに塩の道・千国街道の説明板)

飯田城の位置

塩の道・千国街道の説明板(月夜棚城跡、飯田城跡と書かれています)

線路をくぐるガード

登城口

三峰神社の鳥居

秋葉神社、三峰神社

飯田秋葉山砦東側の堀切(一条目)

飯田秋葉山砦東側の堀切(二条目)

飯田秋葉山砦西側の堀切(一条目)

飯田秋葉山砦西側の堀切(二条目)

標高1013.6m地点

雪で押しつぶされ逆茂木のようになった木

飯田城の堀切

飯田城の堀切

飯田城の空堀

飯田城の堀切

飯田城の主郭

飯田城の堀切

飯田城の空堀


「ワンタンメンの満月」でワンタンメン

2024-07-15 16:24:20 | グルメ

「ワンタンメンの満月」でワンタンメン

東京都三鷹市下連雀にある「ワンタンメンの満月 三鷹店」でワンタンメンをいただきました(2024年6月29日)。

先日、酒田市に行ったときワンタンメンの満月本店で食べることが出来なかったので、三鷹店で食べた次第です。冷やしワンタンメンもあったのですが、初めてということもあり、まずは本道のワンタンメンにしました。

お味はうんまっ!でした。

昭和35年創業のお店です。

ワンタンメンの満月の位置

ワンタンメン

店舗外観


三鷹市の太宰治ゆかりの場所めぐり(2024年7月6日)

2024-07-13 22:57:09 | 日記

三鷹市の太宰治ゆかりの場所めぐり

東京都三鷹市下連雀、上連雀にある太宰治ゆかりの場所をまわってみました(2024年7月6日)。

太宰治は、1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らし、「走れメロス」「斜陽」や「人間失格」などを三鷹で書いたということでしたので、その三鷹市にある太宰治ゆかりの場所を歩いてみました。

伊勢元酒店跡の位置
①伊勢元酒店跡(現在は太宰治文学サロンになっています)

「十二月八日」に店名が登場します。
②野川家跡(現在は永塚葬儀社)
山崎富栄の下宿先で、ここも仕事場にしていたとのことです。
③千種跡(現在はBrillia Mitaka)
ここも仕事場にしていたところとのことです。
④井心亭(市の施設)
平和通りを挟んで反対側に住んでいたとのことです。その太宰治の旧宅にあった百日紅(さるすべり)がこちらに移されています。
⑤連雀湯跡(現在はホンダドリーム吉祥寺)

「十二月八日」に、銭湯に妻が長女を連れて出掛ける場面があります。
⑥陸橋
1929(昭和4)年に竣工したものですが、ちょうど今取り壊そうとしてました。今はこの陸橋の上を歩くことは出来ません。
⑦中鉢家跡(現在は藤和シティスクエア三鷹駅前)
ここも仕事場にしていたところとのことです。
⑧うなぎ若松家跡
打ち合わせ場所にしていたところとのことです。
⑨田辺肉店離れ跡(現在はサイゼリア三鷹駅南口店)

ここも仕事場にしていたところで、「斜陽」を書き継ぐために借りたとのことです。
⑩太宰横丁
太宰治行きつけの小料理屋があったようです。
⑪玉鹿石
太宰治はこのあたりの玉川上水で入水しています。太宰治を偲んで、故郷である青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑としています。

伊勢屋元酒店跡(1)

伊勢屋元酒店跡(2)

野川屋跡

千種跡

井心亭(1)

井心亭(2)

井心亭(3) 百日紅

連雀湯跡(1)

連雀湯跡(2)

陸橋(1)

陸橋(2)

陸橋(3)

陸橋(4)

中鉢家跡

うなぎ若松屋跡

田辺肉店離れ跡・太宰横丁

太宰横丁

鹿玉石

玉川上水(1)

玉川上水(2)

玉川上水(3) 鹿玉石近く