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観音寺城(2024年6月21日)

2024-06-30 23:07:01 | 日記

観音寺城

山形県酒田市麓字楯山にある観音寺城に行ってきました(2024年6月21日)。

最寄駅は南鳥海駅になりますが、酒田駅で降りて駅前の観光案内所でママチャリを借りて(無料)登城しました。酒田駅から1時間ほどかかりました。アップダウンがほとんどないので、ママチャリでも大丈夫でした。

城郭放浪記さんが書かれていたように円通寺の西側の畑のところから登ろうとしましたが、すぐに断念。お墓の裏からの直登に切り替えました。こちらもはっきりとした道はないのですが、なんとか登ることが出来ました。天降神社の横に説明板が建てられていました。

観音寺城の位置

円通寺西側の畑の横の登城口

主郭の切岸

主郭

説明板

 


鎌倉十橋(2024年6月20日)

2024-06-28 23:24:49 | 日記

鎌倉十橋

神奈川県鎌倉市にある鎌倉十橋をまわってみました(2024年6月20日)。


①十王堂橋
北鎌倉駅を出て東慶寺とは反対方向に少しだけ歩くとありました。
ただ、橋標はありませんでした。
②勝ノ橋
北鎌倉駅から亀ヶ谷坂を通って扇ヶ谷に出て、寿福寺の前になります。
寿福寺の前に橋標があるらしいのですが、見つけられませんでした。😅
③筋違橋
清泉小学校の近くにありました。ちょうど大倉御所があったあたりです。橋標と石碑の両方がありました。
④歌ノ橋
筋違橋から杉本寺の方に進んでゆくと、荏柄天神社を越えたあたりにありました。こちらも橋標と石碑が建てられてます。
⑤夷堂橋
本覚寺の前になります。石碑はありましたが、橋標はありませんでした。
⑥逆川橋
夷堂橋より小町大路を南下していき、小道を左に入ったところにありました。橋標があります。
⑦乱橋
逆川橋からさらに南下したところにあります。橋標と石碑が建てられています。
⑧琵琶橋
下馬交差点のところにあります。橋標があるのですが、草に隠れてはっきりとしませんでした。😅
⑨裁許橋
御成小学校の近くにあります。橋はありましたが、石碑も橋標もありません。
⑩針磨橋
少し離れていて極楽寺の近くになるので、江ノ電で極楽寺駅まで行って、そこから歩きました。駅を降りて極楽寺とは反対方向(稲村ヶ崎側)に歩きます。
以前は石碑が建てられていたようですが、現在は説明板になってました。橋標はありました。

鎌倉十橋の位置

十王堂橋

勝ノ橋

筋違橋の石碑

筋違橋の橋標

歌ノ橋の石碑と橋標

歌ノ橋の橋標

夷堂橋

逆川橋の橋標

乱橋の石碑

乱橋の橋標

琵琶橋

琵琶橋の橋標

裁許橋

針磨橋の説明板

針磨橋の橋柱


「どうとんぼり神座」でおいしいラーメン

2024-06-28 02:39:03 | グルメ

「どうとんぼり神座(かむくら)」でおいしいラーメン

大阪府大阪市淀川区西中島の新大阪駅構内にある「どうとんぼり神座」でおいしいラーメンをいただきました(2024年6月16日)。

白菜を使ったスープは、名前のとおりおいしいラーメンでした❗

どうとんぼり神座の位置

おいしいラーメン(1) before

おいしいラーメン(2) after

 


空堀商店街(2024年6月16日)

2024-06-28 00:00:25 | 日記

空堀商店街

大阪府中央区南東部にある空堀商店街に行ってきました(2024年6月16日)。最寄駅は地下鉄の谷町六丁目駅あるいは松屋町駅になります。地下鉄の駅を出て数分歩きます。

こちらは、大坂城南惣構堀の遺構になるようです。先日読んだ万城目学氏の「プリンセス・トヨトミ」を読んで知ったところになります。残念ながら冨紗家本店は準備中で入ることが出来ませんでした。

空堀商店街の位置

空堀商店街谷町筋側入口

空堀商店街松屋筋側入口

冨紗家本店

 

 


雨山城・土丸城(2024年6月16日)

2024-06-26 04:11:52 | 日記

雨山城・土丸城

大阪府泉南郡熊取町にある雨山城と大阪府泉佐野市土丸にある土丸城に行ってきました(2024年6月16日)。雨山城と土丸城の間は400メートルほどで、尾根で繋がっています。

最寄駅は日根野駅で、駅から1時間ほどで、雨山城址ハイキングコースの入口にたどり着きます。入口から雨山城までは40分ほど。雨山城から土丸城までは15分ほど(間に谷を挟んでいます。)。土丸城から土丸側の登山口までは40分ほどになります。雨山城址ハイキングコースは、一町目(約109メートル)ごとに町石が設置されており、あとどれくらいなのかが分かりやすくなっています。

どちらも日本城郭大系に掲載されている山城で、土丸城は雨山城の三の丸とすることもあるようです。
日本城郭大系によると、雨山城は貞和二年(これは北朝暦で、南朝暦だと興国7年で、1346年のこと。)に南朝方の橋本正高によって築かれ、南朝方の1拠点であったとのことです。
土丸城は貞和三年に北朝方の日根野氏によって築かれ、足利尊氏は高師泰に命じて、日根野盛治に土丸城を警固させたとのことです。
土丸側は滑りやすいので、注意が必要です。

どちらも日根荘遺跡として国史跡に指定されています。

雨山城趾ハイキングコース入口

雨山城趾ハイキングコース入口

案内図

説明板

町石(写真は八町目のもの)

馬場跡の分岐点

馬場跡

馬場跡からの眺望

雨山神社の鳥居

土橋(両側は竪堀)

竪堀(1)

竪堀(2)

千畳敷(1) こちらが二の丸跡

千畳敷(2)

月見亭からの眺望

主郭の虎口

主郭

雨山神社

説明板

雨山の説明板

雨山

雨山からの眺望(関西国際空港がよく見えます)

井戸跡

日根荘大木の農村景観

説明板

土丸城に至る尾根道

土丸城の主郭(1)

土丸城の主郭(2)

土丸城のプレート

土丸城側から見た雨山城

土丸側登山口にあった説明板