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フライフィッシャーの独り言

日本を代表する戦争の天才石原莞爾 多くの方々は石原莞爾の存在について知ってはおられん 後にも先にも石原莞爾のような方は出ては来られんかも知れん

石原莞爾は明治22年(1889年) 山形県鶴岡市に生まれた 父は庄内藩の下級武士出身の警察官 天才少年・神童であったことは間違い

昔は近所の資産家が 貧乏家庭の天才少年に学費を出すという美風があり そのおかげで中学へ進み陸軍学校へ入る そこでの成績はトップであった

陸軍士官学校(21期)は6番で卒業 歩兵第65連隊(会津)の見習士官を経て歩兵中尉となる

石原自身はこの時期の連隊生活を「私の一生涯で最も愉快な年月を過ごした」と回想している だから陸軍大学校受験の希望はなかったようだ

しかし連隊の幹部は 連隊創立以来一人も陸大に合格した者がいないのは残念だ との思いがあった そこで連隊の汚名返上のため石原に受験をさせた

連隊生活では受験勉強の時間など無に等しかったが合格してしまった 連隊の幹部一同は「石原は何時勉強したか」と大いに不思議がった

IQが抜群だったのだろう

大正4年陸軍大学校に入学

大正7年29歳陸軍大学校を2番で卒業

性格は秀才かつ奇抜 そして上官にも言いたいことをハッキリ言う性格から嫌っていた者も多かったらしい しかしその一方で崇拝していた者も複数存在した

当時の日本は日清・日露戦争に勝利したが かかる戦費で国力が低下 勝利しても見合う戦勝品が無い なおかつ世界大恐慌で國も荒廃していた

この石原莞爾が立案したのが満州事変 満州事変は1931年9月18日に 中国・遼寧省の奉天郊外で起きた線路の爆破事件をきっかけに 関東軍が

中国軍を攻撃して中国東北部を占領した事件 翌年には関東軍の主導により中国から独立した満州国が建国

石原莞爾の考えは満蒙に独立国家を建設し 満蒙を『五族協和』『王道楽土』の地にすることは 東亜の民族が一丸となりこの世界最終戦争に備えるためである

これが石原の満洲国建国の目的 石原は関東軍司令官本庄繁や参謀板垣征四郎を動かし なんとか建国にこぎ着ける

だが軍部はそこに止まらなかった 満洲を足がかりにさらなる拡大を目指したのである 不拡大を唱える石原は 強硬派の東條英機と対立

彼は抑えのきかなくなった陸軍に絶望し やがて自ら予備役を志願するのであった

最終階級は陸軍中将 位階勲等功級は正四位勲一等功三級

本日は93年前に起こった満州事変の話

 

 

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