おーえん堂奮闘記

実家に戻り要支援2父と要介護2(H30,4月要介護4)母と同居、久々の地元に溶け込もうとしているおじさんの物語

希望のともしび

2015-03-11 | 社会

3月11日今日限りのともしびです

4年経ちました。4年前の今日は職場で強い揺れを感じ、恐怖から机の下に初めて隠れ長い揺れをやり過ごした。幸いにも職場のビルが免震構造だったので何の被害もなく(コピー機が少し動いただけ、免震はすごい)ケータイのニュースで仙台空港にまで津波が来たことを見た名取が自宅のイさんが慌てふためいて「こりゃ大変だ」と早めの帰宅、のちに自宅が流され奥様が行方不明になったことを聞かされました。
その時はそういうこととはつゆ知らず石巻に出張していた人が無事に帰ってきたので拍手で迎え交通機関が全て遮断されていたのでみんなが徒歩で帰宅。遠くて帰れない人は本社ビルに泊まることとなった。
歩いて自宅に帰った時はすでに暗くなっていたので手探りで部屋の中を確認、後でわかったのですがガラスなどが散乱し危ない状況でしたがその時は暗くて見えなかったので靴を脱いで歩き回っていた。よく怪我をしなかったものだ。停電で暗くて部屋を片付けることもできないので毛布持参で近くの小学校へ避難したが、最初のおにぎり配りの若者になぜかうさんくさい目で見られ居心地が悪いので帰ってきて車の中に毛布を持ち込み夜を過ごすことにした。ガソリンがもったいないので時々エンジンをかけて暖をとりながら一晩を明かしたが寒かったし狭かった。ただ、生まれて初めて見るような満天の星たちに感動した。その時は未曾有の津波も火事も原発事故も鹿島の本家が流されたこともしらず・・・


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