ちょっと素敵な、短編小説を見つけたのでシェアしますね
「大熊君、ちょっと今、いいかな」
「はい」
「役員室に来てくれないかな」
「はい、ただいま!」
「当たりだよ!それも大当たり」
「え?」
「いいから、いいから見ればわかる」
電話の主は、社長の田中だった。突然の呼び出しだ。
大熊新三郎は、大手食品メーカーの人事部長をしている。
この数年、その大熊を悩ませているのが、新人教育だ。
有名校を卒業し、学業成績も優秀。「ぜひ」と思って採用したものの、社会人として全く通用しない。
社長室をノックすると、いきなり、
「大熊君、大当たりだよ!」
「え?!何がでしょうか」
「今度の採用試験だよ」
「ああ・・・特別枠の・・・」
大熊が口にした「特別枠」とは、社長が言い出した「特別枠採用制度」のことだった。
学力は一切関係なし。もちろん、出身校も、今まで何をしてきたかも関係ない。
「素行」というポイントにだけに絞って、採用する制度だ。
それは冒険だった。まったくの「おバカ」でも採用することになる。
吉と出るか、凶と出るか。それはまるで「賭け」のような採用制度だった。
では、何を見て、「素行良し」と判断するのか? 社長いわく、「家庭のしつけ」だと言う。
面接試験当日、受験者全員にランチに「お弁当」を食べさせる。
チェック項目は、わずか2点。
1つは、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言うか言わないか。
もう1つは、箸の持ち方。正しく、箸を遣ってご飯が食べられるか。
改めて、「握り箸」になっている若者が多いことに驚いた。
社長は言う。
「古臭いと言われるかもしれんがな、ちゃんと日常の生活ができん者が、
社会で仕事はできんと思うんだな・・・」
大熊は、社長の田中に腕を掴まれて、秘書室へ行った。
社長以下、専務、常務など役員の世話をしている7人の秘書が仕事をしていた。
社長が指差したのは、今年、特別枠で採用された女性の斉藤朱音(あかね)だった。
社長から、「ぜひ、この娘を」と言われたとき、ささやかではあるが抵抗したのを覚えている。
筆記試験がボロボロだったのだ。
社長が、小声で言った。
「よく見ててごらんよ。大当たりだから」
「はあ~」
その時、秘書室の電話が鳴った。1コールが鳴った瞬間、斉藤朱音が受話器を取った。
おそらく、0.何秒だろう。
「はい、たいへんお待たせいたしました。銀座食品工業の秘書室、斉藤でございます」
大熊は、社長が何を言わんとしているのか皆目見当がつかなかった。
「いつもいつもお世話になっております」
斉藤は、そう言うと、電話に向かってペコリとお辞儀をした。
それも、机に頭をぶつけるのではないかと思うほど、深く。
そして、「はい、専務でございますね。たいへん申し訳ございません。
あいにく、ただいま外出しておりまして・・・」
横顔ではあるが、その表情を見て、思わずクスリと笑ってしまった。
本当に「申し訳ない」という顔つきをしているのだ。
もし、自分が、会社に文句を言いに来たクレーマーだとしたら、
「いいや、許してやる」と言ってしまうそうになるような顔をしているのだった。
「どうかな?」
「はい、たしかに丁寧ですね」
「ううん、そうじゃない。たしかに、電話に向かってお辞儀をするのは心の現れだろうな。
それにな、秘書室長に訊くとな、すべての電話を一番で取るんだそうだ。
他の秘書も負けまいとして頑張るけれど、勝てないらしい」
「ええ~」
大熊は、改めて斉藤の顔を見つめた。
「違う、違う、大熊君。そいうことじゃないんだ。気がつかんかったか?」
「え?」
「最初に、あの娘はこう言って電話を取ったろう」
「・・・?」
「たいへんお待たせいたしました、てな」
「ああ・・・」たしかに、そう言った。
しかし、大熊は社長の意図するところがわからなかった。
「私はね、彼女が初めてそれを言うのを耳にしたとき、何だか違和感を覚えたんだよ。
だってな、イの一番で電話を取るんだよ。相手を待たせてはいない。
まあ、3コールくらいだったらわかるけどね」
「そういえば、ちょっとおかしいですね」
「そうだろう」
「改めさせましょう」
「違う、違う、そうじゃないんだよ。この前な、あまり気になったんで、直接訊いてやったんだ。
そうしたら、キョトンとしてこう答えるんだよ」
「はい・・・」
「電話をかける人は、かける前から相手の顔を思い浮かべているっていうんだな。
会社の固定電話にしても、ケータイにしてもな。電話番号帳を調べたりしている間にも。
早く用件を伝えたいと思う。ケータイに登録してあれば、親指でアドレスを探す。
なかなか見つからないこともある。すると、イライラする。そんなことはないかね」
たしかにある。大熊は、電話をかけるときの気持ちを改めて思い起こしてみた。
中には、名刺ホルダーからその人の名刺を探したり、相手の会社のホームページを調べたりすることもある。
「つまりな。彼女が言うには、電話が繋がったときには、相手は充分に待った後だと言うんだ。
だから・・・『たいへんお待たせしました』って言ってあげたい。
こちらの怠慢で待たせたわけではないけれど、それでもそう言いたいんだそうだ」
「変な理屈のような気もしますが、わかる気もします」
「なんで、そんな言い方をするんだい?」と訊いたらな、こう言うんだ。
小さい頃から、お婆ちゃんに教えられたってな。さらに、
「そのお婆ちゃんて、何をしていた人?」て訊くと、
デパートのお客様相談室で働いていたことがあるっていうじゃないか」
「・・・!」
「大熊君! あの娘、ひょっとすると大当たりだよ」
大熊は、今まで、考えてもみなかった電話対応の言葉に、言葉を失った。
そして、それを、社内全体に広めるべきかを考えていた。
心の中で、つぶやいた。
「たいへんお待たせいたしました」と。
斉藤朱音が、両手でそっと受話器を置くのが見えた。
その仕草を見るだけで、心が安らぐ気がした。
なぜなら・・・。
まるで、赤ちゃんをベッドに寝かせるように、そっとそおっと置いたからだった。
《終わり》
「大熊君、ちょっと今、いいかな」
「はい」
「役員室に来てくれないかな」
「はい、ただいま!」
「当たりだよ!それも大当たり」
「え?」
「いいから、いいから見ればわかる」
電話の主は、社長の田中だった。突然の呼び出しだ。
大熊新三郎は、大手食品メーカーの人事部長をしている。
この数年、その大熊を悩ませているのが、新人教育だ。
有名校を卒業し、学業成績も優秀。「ぜひ」と思って採用したものの、社会人として全く通用しない。
社長室をノックすると、いきなり、
「大熊君、大当たりだよ!」
「え?!何がでしょうか」
「今度の採用試験だよ」
「ああ・・・特別枠の・・・」
大熊が口にした「特別枠」とは、社長が言い出した「特別枠採用制度」のことだった。
学力は一切関係なし。もちろん、出身校も、今まで何をしてきたかも関係ない。
「素行」というポイントにだけに絞って、採用する制度だ。
それは冒険だった。まったくの「おバカ」でも採用することになる。
吉と出るか、凶と出るか。それはまるで「賭け」のような採用制度だった。
では、何を見て、「素行良し」と判断するのか? 社長いわく、「家庭のしつけ」だと言う。
面接試験当日、受験者全員にランチに「お弁当」を食べさせる。
チェック項目は、わずか2点。
1つは、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言うか言わないか。
もう1つは、箸の持ち方。正しく、箸を遣ってご飯が食べられるか。
改めて、「握り箸」になっている若者が多いことに驚いた。
社長は言う。
「古臭いと言われるかもしれんがな、ちゃんと日常の生活ができん者が、
社会で仕事はできんと思うんだな・・・」
大熊は、社長の田中に腕を掴まれて、秘書室へ行った。
社長以下、専務、常務など役員の世話をしている7人の秘書が仕事をしていた。
社長が指差したのは、今年、特別枠で採用された女性の斉藤朱音(あかね)だった。
社長から、「ぜひ、この娘を」と言われたとき、ささやかではあるが抵抗したのを覚えている。
筆記試験がボロボロだったのだ。
社長が、小声で言った。
「よく見ててごらんよ。大当たりだから」
「はあ~」
その時、秘書室の電話が鳴った。1コールが鳴った瞬間、斉藤朱音が受話器を取った。
おそらく、0.何秒だろう。
「はい、たいへんお待たせいたしました。銀座食品工業の秘書室、斉藤でございます」
大熊は、社長が何を言わんとしているのか皆目見当がつかなかった。
「いつもいつもお世話になっております」
斉藤は、そう言うと、電話に向かってペコリとお辞儀をした。
それも、机に頭をぶつけるのではないかと思うほど、深く。
そして、「はい、専務でございますね。たいへん申し訳ございません。
あいにく、ただいま外出しておりまして・・・」
横顔ではあるが、その表情を見て、思わずクスリと笑ってしまった。
本当に「申し訳ない」という顔つきをしているのだ。
もし、自分が、会社に文句を言いに来たクレーマーだとしたら、
「いいや、許してやる」と言ってしまうそうになるような顔をしているのだった。
「どうかな?」
「はい、たしかに丁寧ですね」
「ううん、そうじゃない。たしかに、電話に向かってお辞儀をするのは心の現れだろうな。
それにな、秘書室長に訊くとな、すべての電話を一番で取るんだそうだ。
他の秘書も負けまいとして頑張るけれど、勝てないらしい」
「ええ~」
大熊は、改めて斉藤の顔を見つめた。
「違う、違う、大熊君。そいうことじゃないんだ。気がつかんかったか?」
「え?」
「最初に、あの娘はこう言って電話を取ったろう」
「・・・?」
「たいへんお待たせいたしました、てな」
「ああ・・・」たしかに、そう言った。
しかし、大熊は社長の意図するところがわからなかった。
「私はね、彼女が初めてそれを言うのを耳にしたとき、何だか違和感を覚えたんだよ。
だってな、イの一番で電話を取るんだよ。相手を待たせてはいない。
まあ、3コールくらいだったらわかるけどね」
「そういえば、ちょっとおかしいですね」
「そうだろう」
「改めさせましょう」
「違う、違う、そうじゃないんだよ。この前な、あまり気になったんで、直接訊いてやったんだ。
そうしたら、キョトンとしてこう答えるんだよ」
「はい・・・」
「電話をかける人は、かける前から相手の顔を思い浮かべているっていうんだな。
会社の固定電話にしても、ケータイにしてもな。電話番号帳を調べたりしている間にも。
早く用件を伝えたいと思う。ケータイに登録してあれば、親指でアドレスを探す。
なかなか見つからないこともある。すると、イライラする。そんなことはないかね」
たしかにある。大熊は、電話をかけるときの気持ちを改めて思い起こしてみた。
中には、名刺ホルダーからその人の名刺を探したり、相手の会社のホームページを調べたりすることもある。
「つまりな。彼女が言うには、電話が繋がったときには、相手は充分に待った後だと言うんだ。
だから・・・『たいへんお待たせしました』って言ってあげたい。
こちらの怠慢で待たせたわけではないけれど、それでもそう言いたいんだそうだ」
「変な理屈のような気もしますが、わかる気もします」
「なんで、そんな言い方をするんだい?」と訊いたらな、こう言うんだ。
小さい頃から、お婆ちゃんに教えられたってな。さらに、
「そのお婆ちゃんて、何をしていた人?」て訊くと、
デパートのお客様相談室で働いていたことがあるっていうじゃないか」
「・・・!」
「大熊君! あの娘、ひょっとすると大当たりだよ」
大熊は、今まで、考えてもみなかった電話対応の言葉に、言葉を失った。
そして、それを、社内全体に広めるべきかを考えていた。
心の中で、つぶやいた。
「たいへんお待たせいたしました」と。
斉藤朱音が、両手でそっと受話器を置くのが見えた。
その仕草を見るだけで、心が安らぐ気がした。
なぜなら・・・。
まるで、赤ちゃんをベッドに寝かせるように、そっとそおっと置いたからだった。
《終わり》