ちょっと素敵な、短編小説を見つけたのでシェアしますね
武史は、久しぶりに故郷の町を訪れた。
中学時代の友達が結婚したのだ。 あいにく、海外に赴任していたので結婚式には出られなかった。
その代わり、打ち合わせで日本の本社へ戻ってきたのを利用して、 新婚家庭を冷やかしに行くことにしたのだ。
駅を降りる。マサシの家までブラブラ歩く。 20年ぶりに見る駅前商店街は、すっかりさびれていた。
懐かしい、というよりも、悲しさがこみ上げてくる。
途中の角を曲がり、建具屋を継いでいるマサシの家の方へと足を向けた。
「あっ」
武史は思わず声を漏らした。それは、小さな店の前だった。
木枠にはめられたガラス戸に、稚拙ではあるが、大胆に大きな文字で書かれていた。
「長い間、ありがとうございました。 三月末日で閉店させていただきます」
武史は思った。
(まだ、やってたんだ)
もうすぐ閉店するということよりも、「まだ続いていた」ことに驚いた。
それは、武史が幼い頃に、毎日のように通った駄菓子屋だった。
見上げると、二階の軒先に、「田中パン」とペンキで書かれた看板が掛かっていた。
武史には、ほろ苦い・・・いや、辛い思い出のある店だった。 「あの日」があったから、「今」がある。
忘れていたわけではないが、思い出すと胸が苦しくなった。
小学5年生のときのことだ。 いつものように、学校から帰ると「田中パン」に出掛けた。
店内には、近所に住む6年生二人の男の子がテレビアニメのカードを選んでいた。
彼らは、近所でも有名な悪ガキだった。
(今日は何にしようかな)
と店内をぐるぐると見回していたときのことだった。 その6年生二人が、オバチャンの目を盗んで、
シガレットチョコをポケットに入れるのを見てしまった。
オバチャンはテレビの水戸黄門の再放送を見ていて、 まったく気づいていない様子だった。
武史は思わず、「あっ」と口にした。それがいけなかった。6年生二人がこちらを見て睨んだ。
そのうちの一人、たしかケンと呼ばれている方が、並んでいるシガレットチョコをグッと、
わしづかみにして武史の方へとやってきた。 そして、有無を言わせず、武史のジャンパーのポケットの中へねじ込んだ。
「やめて・・・」と言うと、
「これで共犯だからな」と言い、腕を無理やり引っ張って、外へ連れ出した。
そのまま公園まで連れて行かれ、「一緒に食べようぜ」と言われた。
抵抗したが、包みを剥いたシガレットチョコを またまた無理やり口の中へねじ込まれた。
大好きで、いつも食べているチョコなのに、ちっとも美味しくなかった。
その後・・・。一人になって、何度も「田中パン」の前を行ったり来たりした。
オバチャンに謝って返そうと思った。 しかし、6年生のケンの言葉が頭の中でグルグルと回っていた。
「共犯だからな」公園で、ひと箱食べてしまっていた。それが罪の意識を高めた。
とうとう、店に入ることができずに、家に帰った。
それ以来、「田中パン」へは一度も行っていない。 何度も友達に誘われたが、適当にごまかして行かなかった。
怖くて行けなかったのだ。話はそれで終わらなかった。そのことがきっかけで、6年生二人に、何度もからまれた。
中学に入ってからは、彼らの子分みたいになり、 いわゆる「不良」と呼ばれるようになってしまった。
それもこれも、「あの日」が始まりだった。
「留守にしててごめんなさいよ」 「え?」
武史は後ろから声をかけられてビクッと身体を強張らせた。
振り向くと、小柄なお婆ちゃんがいた。すぐにわかった。 「田中パン」のオバチャンだった。
20年の歳月は、オバチャンの頬にシワを刻んでいた。
「今、開けますからね」 「い、いや・・・ありがとう」 「はい、入ってね」 「お邪魔します」
武史は、まるで会社で営業先を訪ねるときのように答えた。
「まあまあ、ずいぶん丁寧なこと」
オバチャンは、ヨイショと声を出して、カマチを上がってこちらを向いて座椅子に座った。
「あのね、毎日のようにね、あなたのような立派な大人の人が店に来るんですよ」 「は、はあ」
武史は、オバチャンが何を言わんとしているのかわからなかった。
「あの貼り紙をしてからね、ウワサが町に広がっているらしくてね、昔からの常連さんがやってくるのよ。オバチャ~ン、辞めるんだって~」
武史はようやく理解できた。昔・・・武史と同じように、 この店に通っていた子供が、
「店じまい」と聞きつけて、懐かしくなって訪ねてくるのだ。
「昨日もね、タカシ君とターちゃんが来てくれたのよ。あなた知ってる?」
「い、いえ・・・」 「そうよね・・・学年が違うとわからないものね」 「は、はい」
「そうそう、先週はね、ミヨちゃんも来てくれたの。知ってるでしょ。 本町の高岡医院の・・・。
お父さんの後を継いで、女医さんになったのよ」 「ああ、高岡医院なら知ってます」
あの頃、子供たちがお互いに呼び合っている「ターちゃん」とか 「ミヨちゃん」という名前だけがインプットされているのだ。
「そうそう、びっくりしちゃった。この前なんかね、 いきなり家の前に外国の大きな車・・・
ベンツとかいう・・・それが停まってね」 「へえ、ベンツ!」 「そうなのよ!」
オバチャンは夢中で話をする。
「中から出てきたのが、ケンちゃんなの」 「・・・」 「知ってるでしょ、ケンちゃん。ほら、
お父さんが土建屋さんで、不良で有名だったじゃない。何度も警察沙汰を起こしてさ」
武史は青ざめた。そして、胸の鼓動を押さえることができなかった。 (それって、あの「ケン」に違いない。オレを共犯にした)
「それがさ、困っちゃうのよね」
武史は、心の中を悟られないようにして訊いた。
「何がですか?」 「ちょっとシャレた上着からね、財布を取り出したらね、
パッとお札を取り出して差し出すのよ」 「・・・」 「それがね、一万円札なのよ、ピンピンの」 「ほう」
「それでね、これで買えるだけ袋に入れてくれって」 「それはスゴイなぁ」
「そうでしょ。でもね断ったの。だって一万円も買われたらね、 お店の商品の大半が無くなってしまうじゃないの。
だってうちは、1個10円とか30円とか。 一番高いサインペンセットだって、500円だもの」 「そうですよね」
武史は、あまりにも欲のないオバチャンに驚いた。
「だってね、このところ毎日のように、昔のチビッコたちが来てくれるでしょ。
もう新しく仕入はするつもりはないから、商品が無くなったら困るのよね」
武史は、迷っていた。今ならまだ白状できると。 いや、ひょっとすると、
これは神様が自分に与えてくれた懺悔のチャンスなのかもしれない。 そう思っているところへ、オバチャンが訊いてきた。
「あなた、なんていう名前だったかしらね。最近、物忘れが激しくて・・・」
武史は、とっさに答えた。
「内藤です」 「内藤・・・なんていうの」 「内藤武史」 「あ、ああ」
武史は視線をそらした。ひょっとして、オバチャンは、「あの日」のことを思い出したのではないか。
さっきはケンの話をした。それは偶然ではなく、自分の顔を覚えていたからではないか。
その確認のために、あえて名前を訊ねたのではないか。手のひらに汗が滲んだ。
「タケシ君?・・・ごめんなさいね。覚えがないの」 「いいですよ。覚えてくれていなくても」
「ごめんなさいね」 「あの~、千円分くらいなら売ってもらえますか?」 「いいのよ、無理しなくても」
「大丈夫ですよ、私もちゃんとした大人なんだから」 「ああ、そう。じゃあ好きなの選んでね」
「今から、昔の友達の家に行くんです。いいお土産になるから」 「じゃあ、デパートの紙袋をあげるわ・・・コレに入れなさい」
オバチャンはそう言って、棚の上から背伸びをして紙袋を取り出した。
「あの~」 「はい、何?」
武史は意を決し、姿勢を正して言った。
「謝らなきゃいけないことがあるんです」 「どうしたの急に」
その様子にオバチャンはキョトンとしている。 その先は、スラスラと口にすることができた。
「私、この店で万引きしたことがあるんです。ごめんなさい。 25年くらい前・・・
小学5年の時でした。上級生に脅されて。 でも、万引きしたことには違いないんです。
それ以来、一度もここへ来れませんでした。本当にごめんなさい」
「いいのよ、そんなこと」 「そんなことって・・・」
オバチャンは微笑みながら答えた。
「あのね、昔からね、駄菓子屋なんて万引きは当たり前なのよ。 なにしろ子供相手だからね。
いちいち怒っていたら始まらないの」「そりゃ、一つ10円とかのものを売っているんだから、万引きされたら辛いわよ。
でも、心配なのは、その子の将来なのよ。嘘つきは泥棒の始まり。万引きは泥棒の始まり。
そうそう、さっき話したケンちゃん、立派な社長さんになってたのよ。
あの子も、しょっちゅう万引きしてたのにね」 「え!知ってたんですか」
「もちろんよ、だって1回や2回じゃないもの」 「ええ?!」 「この前、頭かいて、ケンちゃんも謝ってたわ・・・
ところであなたは、今、何をしているの?」 「あ、はい。IT・・・
いや、通信会社に勤めていて、今はイギリスで働いています」 「ええ~イギリス?」 「ええ」
「じゃあ、英語もペラペラなの?」 「ペラペラっていうか、仕事ができる程度に」
「まあ、出世したのね、よかった。ちゃんとした大人になって」 「はい、おかげさまで」
何とも救われた気分だった。 ずっと背中に負っていた荷物を下ろしたような。
武史が、デパートの紙袋いっぱいの駄菓子を手にして、店を出ようとすると、
「ちょっと待って」
とオバチャンは、健康サンダルをつっかけて追いかけてきた。
「チョコ持ってって」 「え!」 「だって、今日はバレンタイン・デーでしょ」
そう言うと、無理やり武史の手に握らせた。
「私みたいなお婆ちゃんからチョコをもらうのは嫌?」 「ううん、とんでもない、ありがとう」
手のひらを開き、目をやって血の気が引いた。 武史は見下ろすようにして、オバチャンの瞳を見つめた。
「たしか、タケシ君は、シガレットチョコが好きだったでしょ。今、思い出したの」
言葉を失った武史は、目頭に熱いものがあふれてくるのを感じた。
そして・・・心に決めた。
なんとしてでも休暇を取って、もう一度、 ホワイト・デーにオバチャンに会いに来ようと。