影巫女の部屋

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御朱印 小松寺

2022-12-25 12:00:00 | 御朱印

千葉県南房総市にある小松寺に行ってきました。

小松寺はバイクツーリングの漫画『ばくおん!!』にも描かれたお寺です。

歴史

文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。
※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。

天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。

平安時代前期、火災により寺院が全焼。しばらくは廃墟のままとなる。

延喜20年(920年)国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくし あわのかみ すみよしのあそん こまつみんぶ まさかず)により再建される。
寺名を『檀特山医王院巨松寺』と改められる。七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
※七堂伽藍とは、本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊のことをさす。

年を経て次第に衰えてしまうが、承安4年(1174年)中興する。開基第一世玄海。
その後、徳川家康より12石7斗、里見義康から53石6斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場ともなり、多くの僧が集う寺院となる。

安政元年(1854年)、またしても火災により全焼。
現在の小松寺がいつ建て直されたのか、古文章等は残っていないが、本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。この銘から、安政2年(1855年)に再建されたと考えられる。

◆宗派について
当山は、中世のある時期までは天台宗であったと考えられている。二度の大きな火災によ古文章の記録は残されていないが、天台宗として35代、その後、真言宗に改宗されたと伝えられている。現在は真言宗智山派として49代目の住職が継承している。

◇南総里見八犬伝 里見氏の財宝伝


旭さす夕日輝く双樹の下に
漆千盃 朱千盃 銭十億万貫埋めておく
非常の際は この財宝用いるべし

と伝えられています。
この財宝はどこに眠っているのでしょう…

小松寺はいろいろなお寺とのコラボ御朱印を出しています。

また、ご住職の直筆イラストがとてもかわいく素敵な御朱印もあります。このイラスト御朱印は次回紹介していきたいと思います。

*参照したもの*

小松寺 ホームページ