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今日は終戦記念日!

2024-08-15 07:22:42 | インポート

 

今朝の山! 今は雲の中です 今朝の花! もうワレモコウが出ています

おはようございます!今朝の気温19℃、お孫ちゃんたちは昨日の夕方に無事着いたとの連絡が入りました。

お母ちゃんは休むことなく食事の支度、爺もお孫ちゃんはただ食べるだけでした?お母ちゃんご苦労様でした!

昨日の昼2時過ぎ、突然の豪雨!約2時間降り続けて止みました。夕方の散歩、道路が大きく変わっておりました。

熊出没のニュース、少しずつ当地に近づいております。朝の散歩は注意します。今日は卓球の日です?

今日は終戦記念日!    

1945年8月15日は太平洋戦争の終戦の日です!爺5歳、疎開先の仙台近郊に、母、祖母、次女、それと3月の大空襲で傷を負った、長女、三男、四男が同居していたはずです。まだ5歳、まったくその日のことは覚えておりません。暫くして疎開先から東京に戻るときの超満員列車のことは覚えています。

太平洋戦争を語るには半藤一利さん!戦史研究家、特に昭和史に詳しい。代表作「日本のいちばん長い日運命の八月十五日」

その半藤さん、東京の下町生まれ、15歳の時に東京大空襲の被災者、その時の事、戦後の様子を絵本にしております。

「15歳の東京大空襲」と「焼けあとのちかい」の2冊です。

「15歳の東京大空襲」

 

それまでは「よく学びよく遊び」というのがわたしたち小学生の守るべき心得でした。いまや、この「よく遊び」なんてことは許されなくなった

衝撃的な死をいくつも見ているうちに、ひどいもので、無感動そのもの。神経もすっかり鈍麻し麻痺しきっている

「焼けあとのちかい」

 

空襲から逃れ、川で溺れかかるも九死に一生を得た。周囲には物言わぬ遺体が無数に流れていた

反戦を機に「絶対」という言葉を使わないと心に誓った。しかし、最後に伝えたい思いは「戦争だけは絶対にはじめてはいけない」ということだった

この大空襲を半藤さんと同じ場所で味わった、父、長女、次男、三男、四男、当時の話しはあまりしてくれませんでした。

怖がり屋の長女は、死体の山を確認したが、自分では見ていないと?ただ、焼夷弾が人の頭に直撃した場面は見たと!

今も世界では戦争や紛争が続いております。戦争の悲惨さは、人間が人間でなくなることです。

そしてその犠牲者は未来を担う子どもたちなんです。

3月10日この空襲で長女、三男、四男が身体中包帯だらけで疎開先に送られて来ました。爺はその姿が恐かったことを覚えています!

爺の両親が健在の頃、正月二日に兄弟が集まり新年会。その時に出る話し、戦中戦後を通じて食料難だった事が毎回の話題でした。

半藤一利 1930年1月に東京向島生まれ、東大卒、文藝春秋新社入社、2021年1月、老衰にて逝去、90歳でした。

2024-8-15 サツマイモの茎やフスマ入りのパンが常食だったらしい? 甲斐駒村上小屋 No.4384

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