昨日の昼と今朝の山!
おはようございます!今朝の気温-3℃、それでも寒い!床屋へ行って毛がない!それが原因です?
部屋の中でも毛糸の帽子をかぶっております。それほど寒ーいです!実は、昨日、予定した電話が入りました?
病院からです!病院で先生からアカンと言われました!もう一度病院で検査をし、今後の方向を決めることになりました。
心境はケセラセラです!まだ諦めてはおりませよ?まだまだ楽しいことが沢山待っていますからとのメッセージも入りました!
30年前の朝! 30年前と申しますと、爺54歳、仕事に疲れてかなりいい加減な時代でした。
仕事場は資材課・安全管理課を兼任、工場としてはあまり責任のない仕事をしておりました。
1995年1月17日、爺は5時30分起床、朝飯を終わらせ会社に行こうとした5時46分にかなり大きな地震を感じました。
最寄りの駅に着き、会社の送迎バスから流れたラジオで大阪が地震で大変らしいとのニュースを聴きました。
会社に到着後、食堂でテレビを見ました。流れた画像、高速道路が倒壊、昼のテレビは長田区の火災状況!
水がなく消防活動が出来ない!夕方にマグニチュード7.3、震度6の大地震の発生が確認出来ました。
名前は「阪神・淡路大震災」と命名され、激甚災害に指定されました。
関西地区には、大阪支社、関連下請け、自動車部品のお客様など多数あり、午前中に電話をかけて安否確認をしました。
幸い、震源地から外れ、大きな被害(建屋の倒壊)などはなく、従業員にも大きな被害がないことを確認出来ました。
会社とし応援も考えたようですが、取敢えず今の時点では大丈夫との返答をもらいました。
テレビを見ただけでの判断では、震源地付近は、ライフライン(鉄道・高速道路・港湾)は完全に破壊されておりました。
大阪よりむしろ神戸の方が被害が大きく、建屋が完全に破壊しておりました!倒壊建物多数、死者は6434人という大震災になりました。
近代になって初めて体験する大被害、被災者の取り扱いなどいろいろと問題が発生しました。
この時からボランテァ活動と言う言葉を始めて知ることが出来ました。
スティア基準 災害や紛争の被災者に対する人道支援活動のために策定された「人道憲章と人道対応に関する国際的な最低基準」の通称。被災者に劣悪な避難所での我慢を強いるのでなく、今後の生活の再建に希望を持ちながら生活できるようにする!
例えば、一人当たりの居住スペースは最低3.5平方m トイレは20人に1基は必要などがあるようです。
今は、国、地方とも被災者に対する扱いや、ボランテァのあり方などケースバイケースで運営されている様です?
2024-1-17 自動車の運転を注意してます! 甲斐駒村上小屋 No.4534
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