2011年3月11日のあの時の衝撃は昨日のように甦るのに、もう一年が過ぎました。
瓦礫の処理はほとんど進まず、何よりも爆発した福島第一原発は廃炉にするまで
あと40年かかるという。
原発周辺地域からの避難民は全国に散り、望郷の思いを胸に暮らしている。
我が家の近所にも避難してきた小学生と大型犬のいる家族がおり、
未だ自宅に帰れない無念を思う。
分かれて暮らさざるをえなくなった大家族、分断された地域の人間関係、
奪われた生活基盤。
また、原発周辺に取り残された多くの犬や猫、家畜などの動物たち。
原発が奪い、いまも奪い続けているものは量りしれない。
収束に向けて原発内で今も被爆の危険の中で作業を続けている多くの
作業員のことも思う。
悲しみの多いこの1年だった。多くのボタンティアの姿に、人の温かさを
感じる一方で、わが身の無力さに歯がゆさも感じてきた。
せめて祈りつづけよう。原発や核に脅かされない社会を目指して行動しよう、
と強く思いを新たにする。
瓦礫の処理はほとんど進まず、何よりも爆発した福島第一原発は廃炉にするまで
あと40年かかるという。
原発周辺地域からの避難民は全国に散り、望郷の思いを胸に暮らしている。
我が家の近所にも避難してきた小学生と大型犬のいる家族がおり、
未だ自宅に帰れない無念を思う。
分かれて暮らさざるをえなくなった大家族、分断された地域の人間関係、
奪われた生活基盤。
また、原発周辺に取り残された多くの犬や猫、家畜などの動物たち。
原発が奪い、いまも奪い続けているものは量りしれない。
収束に向けて原発内で今も被爆の危険の中で作業を続けている多くの
作業員のことも思う。
悲しみの多いこの1年だった。多くのボタンティアの姿に、人の温かさを
感じる一方で、わが身の無力さに歯がゆさも感じてきた。
せめて祈りつづけよう。原発や核に脅かされない社会を目指して行動しよう、
と強く思いを新たにする。
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