沖縄2日目 傘はいらない程度の微妙な霧雨の中 まずは首里城へ
初めて見た守礼門は予想よりも一回り小さかったけど 趣は想像以上
派手さはないけど 琉球王国では重要な礼拝所『 園比屋武御嶽石門 』
城内に入ると ただの王城ではなく戦に備えた砦という印象を受ける
そして首里城近くにたたずむ 楼閣のような建物は?
当時としてはすごい高層建築で さぞや名のある歴史的建造物かと思ったら
沖縄県立芸術大学でした・・・ だからクルマがたくさん停まってるのか
幾つか門をくぐって チケット買って奉神門もくぐると
首里城が目の前に(不慣れなTHEATA撮影でブレています)
この時は漆の塗り直し作業かなんかで 幕に覆われていました
作業用の足場も朱色に塗られていたのは 意外というか納得というか
城内にあった 首里城前の御庭での様子をかたどったミニチュア
玉座もコテコテの派手なものではなく いかにも感は薄い
頭上の額は清国の王から送られた言葉
元の写真を拡大すると 康熙二十一年 の文字が見て取れます
本物の首里城は戦火で焼失し 石垣の一部だけが残っている
大きさや豪華さで権力を誇示した 西洋の王や中国皇帝の居城とは異なり
首里城から受ける質素な印象は 日本の武家社会に通じるものを感じた
首里城を後にして向かったのは
琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓 『 玉陵(たまうどぅん) 』
世界遺産です
陵墓を守る役人の家(奉行所?)と 大きすぎない陵墓の外壁
小さな入り口をくぐって外庭に入り
更に小さな入り口(高さ 150cm)をくぐって中庭に入ると
階段と入口を3組備えた 石造りの陵墓が見える
遺体は真ん中の部屋に何年間か安置され
遺体が骨になったところで 洗骨されて石厨子に収められ
王と王妃は向かって左の東室に 王子と王女は向かって右の西室に納められたらしい
おや? 中室(中央の部屋)にも石厨子がひとつあるぞ?
言い伝えでは 木田大時(むくたうふとぅち) という占い師の骨を収めた石厨子だそうな
尚真王の時代 筑登之という優れた易学者がおりました
あるとき王子が原因不明の重い病に伏し
すでに評判となっていた筑登之に原因を占わせます
筑登之は王子の病の原因を見事に取り除き
たいそう喜んだ尚真王から大時の称号を賜り
木田大時と名乗るようになりました
王府の仕事を任され あまりに尚真王の信頼を得たことから
やがては尚真王の側近たちの妬みを買い
命を懸けて神通力を試されることになります
箱に入っているネズミの数を当てるという数占いに
木田は『 三匹 』と答えますが
あらかじめ箱の中に入れられたネズミは一匹でした
失望した尚真王は木田の処刑を命じ 木田は刑場へと連行されます
ところが確認のため箱を開けると
中のネズミが二匹の子供を産んでおりました
『 しまった! 』
尚真王はただちに刑を中止させるため狼煙を揚げさせましたが
処刑を催促する狼煙だと勘違いした役人によって
急いで処刑されてしまいました
稀代の易学者を誤って処刑したことを悔いた尚真王は
王墓であるはずの玉陵に 木田大時を葬りました
以上が無銘の石厨子にまつわる言い伝えだそうです
玉陵を訪れる機会が有ったら 資料館も是非のぞいてみてください
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