上北沢暗室雑記帳

写真に関するよしなしごとを

写真展巡り060903

2006-09-07 00:14:29 | 写真展
 暑さも翳ってきたので、久しぶりにチャリで目黒にでも、と思ったらコスモスが6月で閉廊していた。再春館しかり、コンテンポラリーしかり、6月に何かあったのだろうか。大同の動きでも?。軽くいぶかしみつつ、秋葉にSDカードを買いに行く用を思い出し、新宿四ッ谷方面のギャラリーを通りがかりに廻ってみることにした。

◆王子直紀/XXXX STREET SNAPSHOTS Vol.7/photographers' gallery
 スナップというものは複数の偶然が重なって絵的なおもしろさ美しさ興味深さが醸し出されたものと勝手に決めつけていたが、なるほどこれもスナップには違いない。ただ、何の盛り上がりも感じられないものを一点一点プリントしていく作業は、結構ストイックなのではないか、なんてことを思った。一点一点を凝視するのではなく、群として俯瞰し、作家が見た世界を感じるべきなのだろう。

◆水谷幹治/Cold Sun/プレイスM
 このシリーズ、共感の持てる被写体と画角。これを前にしたらきっとシャッターを押してしまうだろうと。どこに向かっているのか、ふと我にかえるようなシーンの数々。

◆早稲田大学芸術学校空間映像科6期生/そう/Roonee247
 ひとつのメガネを、おそらく作家の身内のいろんな人にかけさせてみたポートレートがよかった。モデルの勝利だろう。
 世田谷美術館のウナセラディトーキョーを見て、一人で東京を撮り尽くしてやろうと意気込んだ、という作品に感心した。若い。今は名所カタログでも、ライフワークになっていくといいですな。

◆第3回斎藤康一写真教室写真展/JCIIクラブ25
 人であれ物であれ、愛でるべきものを愛でる。微笑みや深呼吸を共感しやすい被写体を選びとる。それでいいんだよなと、スナップ不作の今日この頃、正直言ってほっとさせられた。

◆山田修二の写真・軌跡/JCII PHOTO SALON
 カメラマンをやめて瓦師になった「カメラマンからカワラマンへ」の著者。ずいぶん前に読んだが感想は失念。
 粒子の目立つハイコントラストで暗めのモノクロが時代がかって見えるが、今世紀の撮影も。このところ、見た目の作風というものを意識していたものだから、まずそこに気を取られた。瓦屋根が写ったカットがいくつもあってああなるほどなとも。1969年、新宿西口のループを埋め尽くす人並みはいったい何をしているんだろう?。デモってる風にも見えない。そんな奇妙なシーンが散見され、もっと見たいと思った。

◆福山えみ/しずまないうちに/LOTUS ROOT GALLERY
 作家の言う「私の目の届かないところでは この世界は存在していないのかもしれない」は、ふと思うことがある。幻想をみている寝たきりなのでは、いや下手をすれば人の姿も借り物で実は浮遊する気のようなもの、なんて変な映画のようなことすら。
 それを確かめようとする行為に及ぶこと、そしてそれが写真を撮ることだということに、やや感心はするものの、その写真群とコンセプトとのつながりが見いだせなかった。「この世界と私/どちらかが欠けてしまったら この行為はおしまい/2つの存在があるうちに たくさんの日常を目に焼き付けたい」。たいていの人にとっては「世界」より「私」の存在が先に欠けるだろう。「その前にたくさんの日常を目に焼き付けたい。」 消える存在に貯め込む行為、それは本能なのか。それにしても「日常」を?。 …うーん、日常かなやっぱり。
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