神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

追体験/責められる思いは責めていた気持ち

2008年10月24日 | ママ随想録
【追体験】・・他人が体験した事柄を解釈作業などを通して、自分の体験として生き生きと捉えること、再現すること。

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子供が学校へ行かなくなり不登校となって、担任の先生から母親としての自分を責められているように感じることがよくあった。
ままならない状況の中、「親として・・」「母親として・・」「こうなったのはあなたの責任でしょう」みたいなことを、いろんなやり取りを交わすたび訴えられているような気がしてならなかった。

もちろん、担任の先生は私に向かって直接そのような発言をした事は無い。
だけど、いつも親として母親として子供のとる行動の原因が私の責任であるかのように、『何とかしなさいよ!』と責められ批判されているような気持ちになった。
無性に感じる「責められる思い」に胃が痛くなり、担任の先生と顔を合わせて会話をすることが怖くなるほどだった。

何故どうしてこんな気持ちになるのだろう?
口にはしないが実際のところ、担任の先生は本当に私をそんな風に心の中で責めていたのかも知れない。
それに、私自身が同じような理由で自分を責めていたのかも知れない。
答えは確かにどちらでもあるのかも知れなかった・・。
が、異常なまでの「責められる思い」の感覚にふと私は昔の自分に思いを巡らし、やがてその答えを発見した。

その答えは私を愕然とさせた。
何故なら、私が感じた「責められる思い」はかつての私が義母を「責めていた気持ち」に他ならなかったからだ。
かつての私の夫は、嘘をついたり約束を守らなかったり、離婚話に別居に借金や女性の問題など、一般の常識から考えると外れた様々なことで私を苦しめ悩ませた。
そんな彼の行動を「親として・・」「母親として・・」「こうなったのはあなたの責任でしょう」と、自分が感じた「責められる思い」と全く同じように私は義母を責めていたのだ。

自分自身がそういった環境を引き寄せ展開させ苦しみ悩むという体験をすることで、私は真理を知り奥底の意味を知ることが出来たのだと、本当に無駄なものは一切無い素晴らしい体験であって、自らの選択の結果だったのだと今の私は理解している。
そんな私に成り得たのも、かつての夫の素晴らしい導きのお陰であると心から感謝している。

しかし、小生意気な当時の私から責められ批判される義母の「責められる思い」や、ただ黙って私の「責める気持ち」を受け入れてくれていた義母の『深い愛』に、私は気付いていなかった。
こうして担任の先生がかつての私の姿となって現れてくれたお陰で、私は初めて気が付いたのだった。
かつての義母の気持ちや心や愛を、長い時間を経て今やっと私は理解することが出来た。

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目の前に映る全てのものは、自分を導く観世音菩薩のお働き。
自分が蒔いた種、自分で放った無慈悲な行為を、私は刈り取り体験し理解した。
その立場に立った時に初めて知る思いや気持ち味わう感情。
体験しなきゃ分からない見えない、そこに必ずあるはずの『深い愛』。

今さらながらですが・・かつての夫と義母、そして担任の先生との出来事に心から感謝を捧げます。
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