年が明けたら、私にも 人生の 一区切りである 米寿を迎えることになる。
それがどうしたという 呼びかけが聞こえてくる。そう何でもないことです。
赤いちゃんちゃんこ来て子や孫に囲まれてという 夢にも思ったことはない。
其れよりも太氏は米寿の日 黙然として 88歳の人生を冷たい目で己の無様さを見ることだろう。
クリスチャンの妹から しきりと電話がくる。よもやまのも話の中で さまよっている私の魂
をかぎつけたのか無臭きょえ談議に入る。
私は宗教を信じないわけではない。幼いころから 私は祖母に手を引かれて お寺に通った。
新人の大切さはよくわかる。
米寿になったら 一切の妄執を去らなければいけないと思っている。今までは美しい花を見たらて
ておって 家に持ち帰り 花瓶にさして飾って思うと思っていたが 以後は そっと して遠目で見つめていくことになる。
できるだけ 平穏でありたいと思う。朝は自分でおかゆをして食べるのを
楽しみにしている。コメの意凸部が足会えるようだ。新製品のPCの発売が連日報じられる。
しかし げっぷを払いきるまで生きているという保証はない。。そう思うと手が出せない。
【永遠の処女】と言われた腹節子さんが亡くなられた。誰にも知らせるなということで
無くなられてからだいぶたった最近報じられた。彼女の演じた 《晩秋》のようにひっそりと。
そういえば私たちには青春というものが欠落していた。夏から突然冬になる最近の乱暴な季節
みたいなものだ。こどもから 大人になってしまったような そんな人生だったなあ。
だから 子供たちも 私のすることはわからないと嘆いている。もう息子とは何年も話さない。
娘も女房と二人で話し込んでいる。中にわたしが入り込んでいくと会話は途絶えて
じゃーねーと母親に言葉を投げていく。それでも寂しくなってはいけないんだ。
新聞を読んでいても 読む真似をしているに過ぎない。妄執去るべし。
金言 「独居してさみしからず。」
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