「 貧 」書きながら自分で 自分の心の 歪みに慄然とした。
「貧すれば 鈍したのだろうか。」世間の空気も読めない自分がいた。
何のために 80を越して生き続けているのであろう。
そろそろ この世におさらばする準備をしておこうと思った。
各葬儀社からパンフレットを取り寄せてみると 葬儀というのは金をかけようと思えば
上は天井に届くくらい 高いものであることに驚く。
ことに 死者をかの地に 誘導してくださる お坊さんたちの値段が高い。
「どのくらい つつめばいいものでしょうか。」
答えは 丁重に返された。「お気持ちで いいんですよ。」そして聞いていくうちに
そのお気持ちが 30萬とか100万円とかべらぼうなものである。
「貧」は死ぬにも死にきれないな。それにまたお墓が高い。最低100万円だ。
葬儀代うかうかしていると400満くらいかかる 。ぞっと する。
「坊主丸儲けだな。」そんな時代があった。ところが最近になって様子が変わってきた。
別にボンさん呼ばなくてもいいよ。戒名もいらないよ。という人たちが増えてきた。
会期法要も ことさらと考えるようになった。つまりとんな回向をしても なくなった
本人は 知らないことで 生きている人の お勤めであったり もろもろのひとたちの
飯の種であったりと 信心の足りない凡 凡夫は口走っている。
もし、現在の 葬式 風景を 親鸞さんが見たら何というだろう。
「お前たち いい加減にしておけよ。」いつの間に商売人になったんだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます