土の器
(2コリント4:7)
「私たちは,
この宝を,
土の器の中に入れているのです。」
パウロが宣べ伝えたのは,
「土の器」-すなわち自分-
ではなく,
「宝」
-すなわちキリスト自身また福音-
です。
わたしたちが
伝えるのもキリストです。
それは,わたしたちの内にある
キリストを伝えることです。
○
(2コリント4:6,7)
「『光が,
やみの中から輝き出よ。』
と言われた神は,
私たちの心を照らし,
キリストの御顔にある
神の栄光を知る知識を
輝かせてくださったのです。
私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。
それは,
この測り知れない力が
神のものであって,
私たちから出たものでないことが
明らかにされるためです。」
イエスは,「道である」ことで,
神の働きをしました。
道は,人が神の所に行く
手段であると共に,
神を知る目的でもあります。
イエスにおいては
手段がそのまま目的です。
わたしたちは器となることが
神の栄光をあらわす手段であり,
私たちの生きる目的でも
あるのでしょう。
(ヨハネ14:6,7)
「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり,
真理であり,いのちなのです。
わたしを通してでなければ,
だれひとり父のみもとに
来ることはありません。
あなたがたは,
もしわたしを知っていたなら,
父をも知っていたはずです。
しかし,今や,
あなたがたは父を知っており,
また,すでに父を見たのです。』」