『児童サービス論』を読む

『児童サービス論』(金沢みどり/著)(学文社)と、『児童サービス論』(堀川照代/著)(日本図書館協会) の2冊を読みました。たった2冊ですいませんが、取りあえず図書館情報学という分野で、新しいやり方はどんなのかな、という興味がありました。どちらも2014年の刊行です。てんで間違いの読み方かも知れないので、疑う方は別に調べられたらいいと思います。

私の考えは金沢みどりさんの方に近いです。

 ●国連の「児童の権利に関する条約」、ユネスコの「公共図書館宣言」など、基本理念がきちんと最初に説明されています。「良い物だけを子どもに」という新潟の権力者のスローガンにどうして私が違和感を持ったのか、それは、この「児童の権利」を侵しているのではないかと思ったからです。だから、とても重要なポイントだと思うのです。それに、子どもの情報へのアクセス権の重要性を最初に理解しなければ、情報学そのものを理解できないんじゃないかと思っているのです。

 ●「おはなし会」と「読み聞かせ」を別の節に分けて書いてあり、おはなし会は読み聞かせの一部分でしかないということが理解できます。つまり、読み聞かせは、おはなし会(集団相手)と、個別にやる場合とがあるのだという風に捉えておられる様子。だから、「読み聞かせボランティア」は集団向けのおはなし会にそんなに固執することはないんじゃないでしょうかね。おはなし会そのものは、本来は「語り」でやることを前提にしたシステムだと書かれているように思います。

 ●読み聞かせの準備や方法、持ち方、見せ方などは淡々と説明されていてよかったです。妙な思い入れがないですしね。そして、読み終わったら子どもたちの呼びかけや質問に十分答える、と書かれているところが、今までの「余韻を楽しむために質問を受け付けない」などというやり方から変わっていますね。答えて交流したほうが自然だし、子どもの脳にもいいですね。

 ●絵本の要素や定義もごく客観的・論理的で分かり易い。偏っていない。特に定義で、「大量生産の一品目であり、ひとつの商品である」とされたのは、錆びた頭をすっきりさせるのに重要なワードです。さらに「多様化」の部分で「ハイパー絵本」まで視野に入れておられるのにはほっと息が抜ける気分です。時代から目をそらさないで対応しようとすることは大切だと思いますので。
 
 ●紙芝居の項目でも、絵本との違いやテレビゲームとの違いなど、しっかり書かれていて安心しました。どの分野も差別意識なく対等に差し出せる人でないと、こういう考え方や書き方はできません。

 ●ストーリーテリングの項目では、『ストーリーテリング入門』(一声社)をベースにして書かれてあるようにお見受けしました。短くまとめられているので、ストーリーテリングをこれからやろうとする方には、考え方の基本がわかると思います。選び方・覚え方の説明も、これならば自分の頭で考える習慣がつくと思いました。


堀川照代さんの本については

 ●「読み聞かせ」を個人相手と集団相手に分けて捉えておられるのは金沢さんの本と同じです。それに、人と本をつなぐという意味では、個人相手の方がきめ細かく対応できると書かれています。私もほんとうにそう思っているのですが、これは専門家でないとできないと思っている人が多いのです。でも、利用者から見ると、自分の身の丈程度の人に気軽に読んでもらったほうが気後れしないのではないか。

「フロアワーク」の項にこんな文がありましたので引用します。(p106)
本の世界を伝えるには、読んであげるのが一番だ。フロアで退屈そうにしていたり、ぱらぱらと絵本をめくっている子に、さりげなく声をかける。「読んであげる」ではなく、「この本を読みたいんだけど、聞いてくれる?」と、あくまでも「読ませてもらう」立場で声をかける。親と一緒に来ている子には、親の承諾を得て読ませてもらう。小さい子にならまるごと読み聞かせ、大きい子には、求めている本を会話から推測し、一節を読んでみる。時間を決めた集団への読み聞かせではなく、文字通りマンツーマンで読むのである。(略)他の子どもたちもいつのまにか集まって聞いていることもある。(続く) 

●紙芝居についての説明も、短いながら分かり易いです。それから、紙芝居は「演じるメディア」という分類で、それは良いのですが、多くのボランティアが、図書館では「本」という道具ががいちばん偉いと思っている様子があるのが困り物。
 もっとはっきり言えば、紙芝居は派手好きな人がやるもんだとか、同じように派手に見える「パツと目につく新刊本やマンガ本」が棚に並ぶ「書店」を一段低く見ている場合もある。だからマンガ的な絵本を「やーねあんなの」と見下す。
  そうではなく、物事を情報としてとらえて分類し、ニーズにあわせて適切に使うという情報学的な頭の切替をすることが一番大切だし、それができないと図書館は「権威」で凝り固まって行くと思うのです。「笑えるプログラム」を低くみて、心を動かす重厚な物語をお勧めしたいような発言を何度も聞きましたが、そういう見え見えの使命感が子どもに嫌われるのではないだろうか。そういう「おしつけ教育」はもう止められないだろうか。そういうことは、個人が心に思うことで十分で、行政がお勧めすることではないと思います。

 ●スト―リーテリングについて。基本的な解釈の違いがあります。昔ながらの「語り」と、戦後に英米から導入された「ストーリーテリング」を別にしているけど、私は、それは同じだと思っています。覚える時に「無駄なく的確な表現を使って話を進めるのは、誰にでも簡単にできることではない」ので、本の文章を暗記するように、とされていますが、自分の言葉で構成しながら語り、不充分ながら一生懸命語るところに聞く面白みがあるんだと思います。不足分を補うように脳が働き、それがおもしろさにつながるのです。お年寄りの昔ながらの語りが魅力的なのはそこなので、今の人も上手になっていく最中をお見せするために、一言一句おぼえるというスタイルを止めた方がいい。
 なによりも、「あなたはできっこないでしょう」的な、相手を侮る様子が不快でさえあります。実は、自信さえ持ってもらえばだれでもできるはずで、萎縮するような講座のあり方に問題があると考えます。「本の内容を伝えるという目的」は大切ですが、「これはコピペだな」と聞き手が感じるようなオリジナリティのない語り方は、聞き手に飽きられるでしょう。それは、本への興味も失わせるように思います。
 今、グループ討論などをして、グループの代表が結果発表するときも、自然と自分の言葉で語る人と、メモを丸読みする人がいますが、前者のしゃべりがとても魅力的。暗唱型ストーリーテリングはお稽古事気分の大人が喜ぶばかりで、子どもはすっかり腰が引けている。子どもがやってみたいと思わないようなやり方は、未来がないと思う。

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