つれづれなるかも

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校内合唱コンクール

2005-02-19 13:18:00 | 雑記
金八先生を見ていると自分の中学生時代を思い出します。
ああ、私にもこんな青春時代があったんだなぁと懐かしく感じます。
そんな中学時代のエピソードを書いてみます。

私の通っていた中学には11月頃に校内合唱コンクールなる行事がありました。
各クラス対抗で学年ごとに金賞、銀賞、銅賞と優劣をつけます。
うちの学校では毎年クラス替えがありますから、毎年新たなクラスメートと歌うことになります。
私がいたクラスは1年時は銅賞、2年時は銀賞でしたので是非3年生のときは金賞を獲りたいものだと密かに考えていました。
当時私は吹奏楽部の部長だったこともあり、音楽担当の先生と仲が良かったので自由曲の選曲時にはその先生に相談しました。
そして非常に難しいが、きちんと歌えれば金賞が獲れるであろうという曲を教えてもらい、クラス会で提案し、その曲が自由曲に決まりました。

次に伴奏者と指揮者を決めなければなりません。クラスにはピアノ経験者が一人しかいませんでしたので、伴奏者は彼女にすぐ決まりました。
問題は指揮者です。他のクラスは大抵クラス長などをやっている男子が指揮者でした。
私のクラスのクラス長は私、しかも私は吹奏楽部の部長ということもあって指揮者に推薦されました。
でも私はあがり性だったのでやりたくありませんでした。
そこで私は自分が指揮者になってしまうとテノールの歌声が減ってしまう、この曲はテノールが大事なので・・と言い訳をし固辞しました。実際私は歌でも主力でしたし。
そこで私は明るく活発で皆から好かれていた女子を推薦しました。
最後は多数決で指揮者は私が推薦した女子に決まり、私はテノールのパート長となることで決着しました。

さあその日から朝練習、昼練習、放課後練習と猛練習の日々が始まりました。
うちのクラスだけが特別というわけではなく、これくらいの練習はどのクラスでもやっており、それほどの学校を挙げての一大行事だったのです。
我クラスの女子は明るく元気な娘が多かったので女子のソプラノ、アルトパートは全然問題ありませんでした。
問題は男子テノールパートです。中学3年生の男子といえばなにかと悪ぶってみたい年頃ですよね。
真面目に練習することがかっこ悪いかのように考える時期ですし男子の練習はうまくいきませんでした。
パート長の私が注意すると「だってのどが痛いし~」とヘラヘラ笑うばかりでした。


本番の一週間ほど前、本番の舞台である体育館での練習割り当てが回ってきました。
このときは音楽の先生も付き添っていろいろ指導してくれることになっています。
私達の歌を聞いた先生の評価は「男子の声が全然だめ、学年で一番だめ」という酷評でした。当然です。ほとんどの男子はまともに歌ってもいなかったのですから。
その評価を聞いた指揮者の女子はついに泣き出してしまいました。
私はその子に指揮者を押し付けた罪悪感とパート長としての責任を果たせない悔しさと真面目に歌わない男子への怒りでとうとうキレてしまいました。
真面目に歌わない男子の中のリーダー格のA君に掴みかかって殴ったのです。
そして涙ながらに訴えました。
「真面目に歌わないで女の子を泣かして情けなくないか?」と。
クラス長を務めるほど真面目で優等生だった私のあまりの豹変ぶりにクラスのみんなが静まり返ってしまいました。
そして私に殴られた彼はこう言い訳しました。
「だって真面目に歌うとのどが痛いんだもん・・・。」



次の日の練習から私は毎日全員分ののど飴を買って学校に行きました。
そしてそれを練習前、練習後に皆に配りました。
男子にのどが痛いと言い訳をさせないためです。
飽きさせないようにいろんな味の飴を全部自分のお小遣いから買って行きました。
のど飴と私の激怒の効果か男子も少しずつ真面目に歌うようになっていきました。
正直毎日ののど飴代は負担でしたが、日に日にクラスの歌声が良くなっていく充実感のほうが上回っていたように思います。
そして本番当日・・・



会場の体育館に入場するまえに私はクラスでも特に親しかったB君から茶封筒を渡されました。その中にはクラスの人数分の100円玉が入っていました。
「のど飴代だよ。みんなで話合って出しあったんだよ」と。
そして「今日は頑張ろうな」と。

本番の歌声は自分たちでもビックリするような素晴らしいものでした。
総評では特に男子の声が誉められ、私達のクラスは見事金賞を勝ち取りました。
結果発表の後、私は指揮者の女子と握手をして喜びを分かち合いました。
そこに私に殴られたA君がやってきて言いました。
「金賞良かったじゃん」と。
他の男子も皆満足気でした。


私は担任教師に金賞の報告に加え、皆が集めて返してくれたのど飴代のことを話しました。そしてそのお金でささやかでもいいので金賞祝賀会をやりたい旨を伝えました。
先生も随分驚き、そして感動したようで祝賀会を開くことを了承してくれました。
祝賀会には一人一本の缶ジュースと1個のショートケーキ、一袋の袋菓子が出ました。
ほとんどは先生が自腹を切ってくれたそうで、私が出したのど飴代はまた私に戻ってきました。


それから卒業までの数ヶ月は本当に楽しい日々だったと思います。
私が殴ったA君はあれから一緒に隠れて麻雀をする悪友になりましたし、B君とはその後もずっと友達です。


今でもこのことを思い出すと胸が熱くなります。
自分もドラマのような青春を送っていたんだなと。
長々と思い出話をしてすいませんでした。読んでくださってありがとうございます。