新自由主義は、日本では評判が悪い。大まかにいえば、規制緩和による大企業優先の経済政策…みたいなイメージが先行しているため?…が、それは小泉・竹中路線などの政策の失敗面による結果論であり、本来の新自由主義の本質からすればひとつの側面にすぎない、と思われる。
そこで、本家の英米や古典的自由主義など新自由主義のルーツに遡り、新自由主義について学習してみようと思う。
まずは、『古典的新自由主義』について、ウィキペディアからいの引用。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9
古典的新自由主義
初期の自由主義が古典的自由主義と呼ばれるように、初期の新自由主義は古典的新自由主義(クラシカル・ネオリベラリズム)とも呼ばれ、ハイエクやミーゼスなどを含む戦間期のオーストリアの経済学者を中心として作成された。彼らは、社会主義政府とファシズム政府の両方によってヨーロッパで自由主義が衰退して行く状況を懸念して自由を再構築する試みを開始し、新自由主義の基礎となった。
新自由主義の中心概念は法の支配であった。ハイエクは、強制が最小となった場合に自由が最大となると信じた[31]。ハイエクは自由な社会でも強制の完全な廃止は不可能と信じていたが、強制を望むかどうかの判断は個人に許される必要があると論じた。彼はその実態は法で、その使用は法の支配であるとした[32]。この考えを実現する重要な仕組みには権力分立などが含まれ、この概念が立法者から短期的な目標追求を分離し、また多数派による絶対権力を防止する事で、法に実効性を持たると考えた[33]。そして立憲主義の概念により立法者も成立した法によって法的に束縛される。
また古典的新自由主義は伝統を尊重し、進歩には実用主義的なアプローチを使用し、保守的な運動を指向した。著名な例には、チリのアウグスト・ピノチェト、イギリスのマーガレット・サッチャー[34]、アメリカ合衆国のロナルド・レーガンなどがある。
1980年代には、新自由主義的な目的の実践的な宣言であるワシントン・コンセンサスが成文化された。
とある。
文中に出てくるハイエクは、第二次世界大戦中に書いた『隷属への道』という、社会主義経済が国家を全体主義化するメカニズムを解き明かした著作で有名な政治哲学、経済の学者である。
上文を簡単にいえば、全体主義に対峙する政治指針として確立されたのが古典的新自由主義である』ということである。