精神と物質

精神生活と物質生活のバランス

忌野清志郎と反原発とROCK

2013年06月24日 22時20分39秒 | コンサバどうですか
とある知り合いのブログで清志郎の12年前のメッセージを読んだ。
それを読んで思ったことを書きたいので、まずそのメッセージを掲載させてもらう。

 ーーーーーーーーーーーーーー
忌野清志郎『瀕死の双六問屋』より、12年前のメッセージ

地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉 そうにしてるだけ。阪神大震災から5年。俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。TVをつけると5ヶ所ほどから火の手がのぼっていた。「これはすぐに 消えるだろう」と思ってまた眠った。6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。この国は何をやってるんだ。復興資金は大手ゼネコンに流れ、神 戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ。とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。弟はドラムを叩く シーンで僕はロックン・ロールじゃありませんと自白している。政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。そのうち、リズム&ブ ルースもロックも禁止されるだろう。政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を制服した い。
俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ。何を学ぼうと思ったわけじゃな い。好きな音楽をやっているだけだ。それを何かに利用しようなんて思わない。せこい奴らとはちがう。民衆をだまして、民衆を利用していったい何になりたい んだ。予算はどーなってるんだ。予算をどう使うかっていうのはいったい誰が決めてるんだ。10万円のために人を殺す奴もいれば、10兆円とか100兆円と かを動かしてる奴もいるんだ。一体この国は何なんだ。俺が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、‥‥‥この国の憲法第9条はまるでジョン・レノン の考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平 和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう、きっと幸せになれるよ。

忌野清志郎

-----------------------------以上 転載終わり


反原発、反体制、9条護憲。これらは言っとくがまったくROCK的ではない。反原発も9条護憲も平和をもたらすものではないし、それによって幸せになれるものでもない。このことは今日かなりはっきりしてきていると思う。
清志郎のこのメッセージの考え方は70年代を引きずる80年代の反原発ムーブメント(主にヒッピーが中心)そのまま。
9条護憲といえば、歌手では沢田研二がいる。沢田研二は山本太郎の応援に来ていたらしいが、そういえば清志郎もミックジャガーのファンだった。

清志郎自ら、「俺はまるで共産党員みたいだな」と言っているが、その通りであろう。現実をマルクス主義的な「階級闘争史観」のフィルターで観、幻想の平等、空疎な平和を唱えるのは共産主義者と変わらない。
結局、『戦争を知らない子どもたち」とは「保守主義を知らないこどもたち」だったのだろう。右であ、左であれアメリカが保守主義の国だと知らない日本人はたくさんいる。太平洋戦争後、日本がこれまで戦争に巻き込まれたり、侵略を受けてないのは米軍と自衛隊が存在したからである。9条が平和を守っていたのではない。また、今後は9条に固執すること結果的に返って戦争に巻き込まれる可能性が高い。中国に侵略され支配されれば、中共の米国との戦争に日本人が民族浄化もかねて戦争に刈り出されるだろうから。
9条は国防強化を妨害するネックなのだから、9条護憲を唱えている人は「国防放棄して侵略されよう」と言ってるに等しい。彼らは中国共産党が内モンゴル、チベット、ウイグル族をどのように侵略してきたか分かっているのだろうか? 侵略国の暴挙を見て見ぬ振りで、「軍事力は持ちません」ということのどこが平和なのか。
清志郎は古いタイプのロッカーなので、彼のことを別に嫌いではないが、昔のメッセージを持ち出して今、反原発派がこういったのを利用するのはちょっと……と思う次第。



Face Bookで安倍総理が田中均元外務審議官を批判

2013年06月13日 07時21分45秒 | コンサバどうですか
今朝のニュースで、『FBで安倍総理が田中均元外務審議官を批判』というのを見て、この名前、見覚えあるなぁ、どんなひとだっけ、と思い調べてみた。 NHKのニュースでは安倍総理が田中均に右傾化云々と批判されてどうのと報じていたが、事実はどうも先の<飯島内閣官房参与の北朝鮮訪問を論評したことについて、「彼に外交を語る資格はない」と、厳しく批判した>ということらしい。
まぁ確かに、<2002年に日本に帰国した5人の拉致被害者を、いったん北朝鮮に帰すよう主張していたとして、「外交官として決定的ミスと言える」と断じた>のは安倍総理の方が正しい。この田中均が外交官としてやったことを見ると北朝鮮のエージェントかな?と思われても仕方ない行動が見られ、こういう人が外務審議官になったりするというのはどうなっているのだろうか。

参考:北朝鮮と内通した“田中均”外務審議官

水槽掃除と論考

2013年06月11日 22時11分49秒 | コンサバどうですか
借りてる畑に朝行った以外、あと今日は水槽掃除と大森勝久氏の論考を読破。今一番関心の焦点に関するものなので、読みながら刺激されていろいろ文章書いたりしながらじっくり読んだ。
大森氏はかつて左翼だったが、中川八洋教授の一連の著作で思想転換した人だが、確かに中川八洋教授の保守主義の本は凄い。これまでの価値観を覆すインパンクトがあり、かつ大変合点がいく。その意味では価値観が整序される感じでもある。



以下、冒頭の方の一部を抜粋してみよう。

http://1st.geocities.jp/anpo1945/ 大森勝久評論集 より

(1、) 共産主義は人間を奴隷化し他国を侵略する謀略思想である

  1) 虚偽レッテルを貼り付けて資本主義と資本主義国家を価値否定する

 共産主義思想とは、人間を奴隷化し他国をも侵略し奴隷を拡大する思想である。しかし共産主義は、この目的を隠す。逆に、人間の解放、理想社会の建設 を掲げてインテリや人民を騙して、独裁国家の建設と世界征服の目的のために動員利用する。共産主義は謀略思想である。人類史上最悪の抑圧思想である。20 世紀における共産主義の犠牲者(死者)は二億人にのぼる。

 人間は現実(歴史)をとらえ解釈する際、一定の理論的枠組みを必要とする。共産主義は、資本主義経済を搾取経済だと理論化したが、これは虚偽理論で ある。共産主義は、資本主義国家を、階級国家、ブルジョア独裁国家だと虚偽理論化した。別言すれば、民主主義をブルジョア民主主義と規定し、それをブル ジョアジーの実質的な独裁支配だと虚偽理論化した。マルクスやレーニンや毛沢東らである。

 共産主義の創始者たちは、共産主義経済を搾取が廃止された理想的な経済システムだと虚偽理論化し、共産主義社会を、階級支配(階級国家)もなく、官 僚も存在しない、平等で自由な理想社会だと虚偽理論化した。

 創始者たちは人格的に狂った人間であったが、頭は良かったから、資本主義経済と資本主義国家=自由主義国家を、学問的装いをこらして上述の如く虚偽 理論化して、価値否定してしまったのである。祖国の価値否定である。

 創始者たちは、まず「不平等=悪、平等=善」をプロパガンダして人々を洗脳していった。「不平等=善、平等=悪」が真理なのだが、彼らはこれを転倒 させてプロパガンダしていった。

 人間は生まれながらにして不平等に出来ている存在である。不平等だから男性と女性があるし、それぞれの人間に個性がある。平等であったら統一規格の ロボットになってしまう。人間は社会をつくって生活を営むが、社会組織は必ず上下の秩序により形成される。不平等である。社会全体としても、個々の社会組 織たとえば国家の機関も企業などの中間組織も家庭も、全て上下の秩序でつくられている。平等を求めたら、あらゆる社会組織が否定され破壊される。平等を理 念化したら、人間は否定され人間社会も否定される。平等は反人間、反人間社会なのであるから、それが善であるはずはない。

 自由は不平等を原理とする。美徳ある自由を始め様々な質の自由があるが、自由は人間や法人の自己主張であり、他者との差別化であるから、不平等が原 理である。平等の強制は自由の圧殺に他ならない。それは人間の否定を意味する。自由は、法の支配と法を執行する立派な国家機関がある文明国家において初め て成立するものである。従ってアナーキズム(無政府主義、無国家主義)も反自由のイデオロギーである。これも共産主義と同様の謀略思想である。

 共産主義の創始者たちは、人間と人間社会の真理、原理である不平等を、意識的に逆転させて、「不平等=悪、平等=善」だと人々に反復してプロパガン ダしていった。左翼はもちろんだが、マスメディアのプロパガンダによって多くの人々が、「不平等=悪、平等=善」をアプリオリに真理だと思い込んでしまっ ている。これを洗脳と言う。

 現実の国家社会が不平等であるのは真実であるが、彼らは人々の不平等=悪の観念と感情を十二分に利用して、それを「支配と被支配」「階級支配」とい う全く異なった概念にスリ替えて虚偽理論化し、プロパガンダしていったのである。階級国家論、階級支配論であり、資本主義経済=搾取経済論である。こうし て現存国会社会を価値してしまったのだ。

 Aという人間を否定したかったら、Aに薄情だとかのレッテルを貼り付けて繰り返し宣伝すればいい。Aが立派な人間であっても、否定的な虚偽レッテル を貼り付けてプロパガンダすれば、それが信じられていく。洗脳のテクニックである。資本主義経済と資本主義国家を否定したかったら、同じことをすればよ い。虚偽の否定的レッテルを貼り付ければよい。学問的な装いを凝らして行えば一層成功する。搾取経済だ、階級国家だ、ブルジョア独裁だとの虚偽理論とは、 そういうものである。

 Bという対象を全面的に否定すれば、Bの反対物は必然的に全面的に肯定されることになる。即ち、虚偽理論によって資本主義経済とその国家を全面的に 否定することにより、その反対物である共産主義経済とその社会は自動的に全面的に肯定され美化されることになる。これも洗脳の基本的テクニックである。

 マルクスもレーニンも共産主義社会に関しては、ほとんど書いていない。あれだけ膨大な著書があるのにほとんど書いていない。意識的にそうしたのであ る。だからこそ共産主義社会は美化、聖化されていった。洗脳のテクニックである。もし詳しく論述しようものなら、共産主義が必然的に、自由ゼロの独裁支配 国家を誕生させていくこと、ウルトラ搾取のウルトラ不平等社会になることを気付かれてしまうからだ。

 共産主義(やアナーキズム。いちいちアナーキズムと書くことはしないがアナーキズムも同類である)の創始者たちは、善人であり、理想的な社会に変革 したいとの善意を持って、その理論化の作業をすすめたが、結果的に理論化を誤ってしまったために、共産主義革命は独裁国家を誕生させることになったのでは ない。

 彼らはその国の独裁支配者になり、更には世界の支配者になることを夢見た狂人であり、そのためにインテリと人民を洗脳し動員利用することを狙い、自 覚的に謀略思想・理論として共産主義(やアナーキズム)をつくりあげたのである。嘘(虚偽理論)と洗脳のテクニックによって作られたのが共産主義である。

 共産主義やアナーキズムに洗脳された左翼は、日本の現実そのものによって、日本やその体制を否定しているのではない。共産主義やアナーキズムが貼り 付けた虚偽レッテルによって、否定させられているだけである。洗脳された者はこのように操られてしまう。かつての私もその一人であった。
 2) 共産主義は独裁支配者を夢見た狂人がつくり出した謀略思想である

 普通の人から見れば、私有財産(生産手段)の否定と国有化(共産主義化)は、財産の略奪の大犯罪であるが、共産主義を信俸する者にとっては、悪の経 済制度、不平等の経済制度を廃絶し、搾取のない平等な経済制度を創設するための核心になるものだ。だから彼らは、罪悪感などなく使命感に燃えて共産主義化 を実行していくことになる。

 この共産主義化を実行するためには、まず国家権力を選挙によってであれ、暴力革命によってであれ奪取して、プロレタリアートの独裁あるいは人民独裁 をしかなくてはならない。プロレタリアートの独裁とは、敵に対する無制限の暴力のことである。この革命は、普通の人から見れば、法の否定であり、民主主義 の否定であって大犯罪であるが、左翼にとっては、法はブルジョア法であって価値否定されており、民主主義もブルジョア民主主義(ブルジョアジーによる実質 的独裁)であって価値否定されているから、何ら意に介さないのである。レーニンは、真の共産主義者とはプロレタリアートの独裁を断固支持する者のことであ ると言っている。だから左翼は使命感に燃えてプロレタリアートの独裁をめざして戦っていくことになる。

 しかし真の共産主義の立場とは、彼が形式的にはプロレタリアや人民であっても、「共産主義と前衛である共産党の見解を支持できない者は、ブルジョア 思想に染まった者であって、真のプロレタリアや人民ではなく、「敵の手先」であるから打倒されなくてはならない」というものである。これによって、プロレ タリアートの独裁や人民独裁は、共産党指導部による他の全ての国民に対する独裁、無制限の暴力になる。

 共産党はまず資本家、地主、知識人を打倒するためにプロレタリアート・人民を利用する。だがその課題が終了すれば、プロレタリアートの独裁や人民独 裁の隠された真の目的である全国民に対する独裁支配、無制限の暴力支配が全面開花していくのである。共産党以外の革命勢力も共産党内の反対派も「敵の手 先」とされて弾圧されていく。「これはプロレタリアートの独裁ではなく、共産党の独裁だ。革命への裏切りだ」と抗議しようとする者も、国家テロルの弾圧の 前に沈黙するしかない。国民の権利と自由を守ってきたかつての法の支配と資本主義国家は、彼の言う革命によって既に破壊され廃絶されてしまっているのであ る。彼自身がその革命を担った。彼は多くの人々を弾圧し、自分自身をも弾圧する革命を狂信して実践していくのである。

 生産手段の私的所有を、不平等と搾取の元凶だとして否定し国有化し(=共産主義化)すればどうなるか。冷静に考えてみるならば、それは国家権力を独 占する共産党のみが全ての生産手段を独占所有することだとすぐわかるはずである。共産主義革命とは、国民の財産を強奪して共産党が独占私有することであ る。国民は共産党を批判したら生活の糧を得られなくなる。外に働き口はないのだ。そして共産党は政治権力も全て握るから、まさに国民の生殺与奪権を握るこ とになる。国民は共産党の奴隷と化する。

 生産手段の私的所有=財産権の保障は、法の一大原則である。生産手段の私的所有が保障されることが、自由の経済的基盤だからである。私的企業が無数 に存在し、個人事業も自由であるからこそ、国民の職業選択の自由が保障され、それゆえ国民の政治的自由も保障されるのである。

 天才であるマルクスやレーニンがこの理屈が解らぬはずはない。十分に理解していたからこそ、独裁支配者を夢見た狂人である彼らは、法を否定し、私的 所有と資本主義を否定し、共産主義を主張したのだ。彼らは、洗脳学(嘘を土台とする)を駆使して、インテリや人民に幻想を抱かせる謀略思想・理論として、 共産主義理論を作り上げたのである。インテリの善意や人民の妬みを利用していったのである。

 私的所有を原理とする資本主義社会において、資本家が労働者を雇う場合に、資本家が利潤を取得することは、価値を生み出す資本を提供しているのであ るから当然のことである。搾取などではない。労働は価値を生み出すが、単独では出来ない。資金、工場、機械、土地、材料等の資本と結合して初めて価値を生 む。これで解ることは、これらの資本も労働と結合して価値を生み出しているということである。それが利潤である。私は全く新しいことを主張している。

 マルクスやレーニンは当然、この真理を知っていた。しかし嘘を承知で、労働のみが価値を生み出すという「労働価値説」と「剰余労働論」をプロパガン ダして信じ込ませていったのであった。その目的は言うまでもなく、資本主義経済の搾取を“証明し”(デッチ上げ)、資本主義を否定するためである。

 共産主義、アナーキズムは嘘、嘘、嘘の謀略思想・理論である。



ダライ・ラマと櫻井よしこの対談

2013年06月10日 22時10分29秒 | コンサバどうですか
先日、『【櫻LIVE】第5回放送 - ダライ・ラマ法王 × 櫻井よしこ』を観た。おとといだったか。

中国がチベットを侵略し、未だに弾圧を続けていることは周知の事実だが、そのチベットの法王であるダライ・ラマと「会ってはならない」と各国に通達しているのが中国なのであるが、イギリスもアメリカのそういった恫喝には従ってはいない。しかし、日本政府は残念ながらこれまで中国のそういった恫喝に従ってきた。それが昨年11月、日本の各党の議員がダライ・ラマと会って話を聴いた。おもしろいことに共産党と社民党の議員だけはいなかったそうだ。こういうことを通して、どういう人たちが中国の顔色を伺っているのかよくわかる。というかぶっちゃけ、日本共産党や社民党は中国共産党の出先機関みたいなものだろう。日本をよくするための政党ではなく、中国共産党にとって都合良く日本の政治が動くための政党とみなしていいと思う。思想的にまぁ中共と近い人たちな訳だし。
それとなぜか日本のマスコミはこれをほとんど報じなかった。マスコミが中国の圧力に弱いのは共産主義国家時代に結んだ放送協定で「中国に不都合な報道をしたら出入り禁止」という契約をさせられていたことを未だにひきづっているのだろうか。それにしても中国という国は勝手な国だ。自分たちはあることないこと、日本を悪者にでっちあげ捏造した歴史教育で中国国民を洗脳しているくせに、中国に不利な報道は事実であってもするな、ときたもんだ。
しかしなんで日本の人権派弁護士は、チベットとかウイグルの人権問題にはまったく知らん顔なのかな?
あと、なんで反核団体はニューヨークくんだりまで核廃絶の嘆願書持ってたり抗議したりするのに、日本の都市に標準を会わせて100基あまり設置してある中国の核弾頭ミサイルには何にもいわないのかな?反核団体が中国に抗議活動しましたとか聴いたこともないわけだが。


『前近代』という空疎な言葉

2013年06月09日 22時43分21秒 | コンサバどうですか
産経新聞の政治部の阿比留瑠比さんのブログで面白い記事を見つけた。

民主・海江田代表と日教組と「前近代」について

である。

『前近代』という言葉は、以前読んだ谷沢英永一氏の『悪魔の思想』という本で知ったのだが、実はコミンテルンの32年テーゼで使われた言葉のようである。その指示書にあったのは「日本は『前近代』であり、『半封建』であるから、共産主義という先進的思想の前衛たる共産主義者である左翼は『遅れた日本人』を指導しなさいよ」というのが『32年テーゼ』の内容だったわけだが、時は1932年、まだ戦争前の時代である。この時の『32年テーゼ』の信者が戦後、学閥の権威となり東大学長などになったり、教育界や思想界を牛耳るようになった。日本における反日の歴史の始まりである。
いわゆる『進歩的文化人』と称する左翼を生み出した聖典がこの『32年テーゼ』という世界共産革命の指導文書であった。

海江田氏が自民党の改憲案を『前近代に戻る考え』とか、日教組などが未だにこの言葉を使っているのが面白い。彼らは大学時代、共産主義や社会主義を善なるもの正しいものとして教わり、たぶんそれを未だに疑うことなく信じ込んでいるのであろう。ずいぶん進歩のない人である。
海江田氏の非難にどこかズレているものを感じる人は鋭い、といわざる得ない。

実をいうと、1932年当時、日本はまったく『前近代』的ではなく、先進国であった。科学技術もであるが、文化的、道徳的にもである。政治的にも共産主義や社会主義思想がはびこる以前の日本の政治は比較的高度なものであった。


コミンテルンの32年テーゼとは、日本に負けた恨みを晴らさんがために、日本人の精神の内部から崩壊させる悪意を持ってソ連が日本の左翼に送りつけた指示書であった。だから『前近代』などという非難はもともと中身がない空疎な非難でしかないものだった。

左翼が日本破壊を指向する本能的な軸は、このテーゼに発祥の源があると思われるわけだが、