神奈川シニア連合2017年研修旅行は、神奈川シニア連合25周年の記念行事の一つとして今回はバス2台で10月16日(月)~17日(火)の一泊二日で実施され、12産別の退職者会会員74名が長野県にある「満蒙開拓平和記念館」や「杵原学校」などを視察しました。
初日は、横浜駅北口改札前の「きた通路」に集合。8時20分、予定より5分遅れて出発。雨の中を保土谷バイパス、東名高速、圏央道、中央高速、長野道を走り、塩尻ICで国道19号線に入り「道の駅ならはら」で昼食休憩を摂りりました。
そして、昼食後に最初の見学先である「奈良井宿」を色とりどりの傘をひろげて散策
した後、昼神温泉の近くにある「満蒙開拓平和記念館」に向けて出発。途中、ほんの少し色づいた景色を車窓から眺めながら15時35分に満蒙開拓平和記念館に到着。入館前に集合写真を撮りました。
視察後は、宿泊先の“美人の湯”昼神温泉グランドホテル天心に向かいました。そして、参加者は、夕食時には各産別からのカラオケ名人による楽しい交流を行い、更に部屋に戻ってからも各部屋で交流が続いていました。
二日目は、8時58分に杵原学校に登校。昭和24年に建造された木造平屋の教室で歴史と音楽の授業を受けました。音楽の時間では、神奈川シニア連合混成合唱団が童心に帰り小学唱歌「ふじの山」と「ふるさと」を息を合わせて斉唱し、(ユーチューブに歌声あり)
国登録有形文化財「杵原学校」から卒業証書を頂きました。最後に先生から「春には、卒業生として樹齢80年の枝垂れ桜を見に再訪を」との事でした。
そして、飯田水引美術館に移動し、水引で作られた若貴が使っていた化粧まわし、神輿や鎧など素晴らしい作品を見学した後、
帰路に向かいました。途中、諏訪ICのインターを出て峠の釜めし「おぎのや」で昼食休憩し、
横浜駅西口に16時10分に無事到着しました。参加者は、大きく膨れた荷物と思い出を土産に、それぞれの自宅へと向かいました。
※下線はリンクしています。
※ユーチューブ画像29分ここをクリック下さい。
「満蒙開拓平和記念館」視察記
満蒙開拓平和記念館は、2013年4月に「前事不忘、後事之師」(前事を忘れず、後事の教訓とする)の平和への思いを込め開館されました。記念館では、満蒙開拓者の入植者の募集、夢を抱いて渡った新天地での厳しい生活や悲惨な出来事などが映像と資料で紹介されています。
満蒙開拓は、日本が中国東北地方に建国した満州国での軍隊の食糧確保などが目的であり、農業移民として27万人(長野県からは37,849名)が入植したとの事。しかし、戦争が厳しくなると男性は徴兵され、残った老人と女性・子供は厳しい環境下で頑張るも、1945年8月9 日に突如ソビエト軍の侵攻が始まり、広い荒野を逃げ惑い銃弾・飢え・自決・収容所生活などで多くの人々が犠牲になり、更に孤児や養子、中国人妻になるなど身を切るような悲劇と苦難にあわれたそうでが、当時のことはほとんど知られていないそうです。昭和21年5月から引揚げ船の航行が始まり23年までに14万人余が帰還され、途中日中国交断絶の期間を経て昭和28年から33年まで引揚げが再開されたものの、入植者の半数にも届かない18万人弱しか帰還出来できなかったそうです。そして、日本では、引揚者として差別されたことから当時のことは一切しゃべらなかったと聞き、とても寂しく・切ない気持ちになりました。
視察は、参加者それぞれが「戦争は、絶対にしてはならない」の思いを強くした、意義深いものとなったと確信します。(東谷 記)
初日は、横浜駅北口改札前の「きた通路」に集合。8時20分、予定より5分遅れて出発。雨の中を保土谷バイパス、東名高速、圏央道、中央高速、長野道を走り、塩尻ICで国道19号線に入り「道の駅ならはら」で昼食休憩を摂りりました。
そして、昼食後に最初の見学先である「奈良井宿」を色とりどりの傘をひろげて散策
した後、昼神温泉の近くにある「満蒙開拓平和記念館」に向けて出発。途中、ほんの少し色づいた景色を車窓から眺めながら15時35分に満蒙開拓平和記念館に到着。入館前に集合写真を撮りました。
視察後は、宿泊先の“美人の湯”昼神温泉グランドホテル天心に向かいました。そして、参加者は、夕食時には各産別からのカラオケ名人による楽しい交流を行い、更に部屋に戻ってからも各部屋で交流が続いていました。
二日目は、8時58分に杵原学校に登校。昭和24年に建造された木造平屋の教室で歴史と音楽の授業を受けました。音楽の時間では、神奈川シニア連合混成合唱団が童心に帰り小学唱歌「ふじの山」と「ふるさと」を息を合わせて斉唱し、(ユーチューブに歌声あり)
国登録有形文化財「杵原学校」から卒業証書を頂きました。最後に先生から「春には、卒業生として樹齢80年の枝垂れ桜を見に再訪を」との事でした。
そして、飯田水引美術館に移動し、水引で作られた若貴が使っていた化粧まわし、神輿や鎧など素晴らしい作品を見学した後、
帰路に向かいました。途中、諏訪ICのインターを出て峠の釜めし「おぎのや」で昼食休憩し、
横浜駅西口に16時10分に無事到着しました。参加者は、大きく膨れた荷物と思い出を土産に、それぞれの自宅へと向かいました。
※下線はリンクしています。
※ユーチューブ画像29分ここをクリック下さい。
「満蒙開拓平和記念館」視察記
満蒙開拓平和記念館は、2013年4月に「前事不忘、後事之師」(前事を忘れず、後事の教訓とする)の平和への思いを込め開館されました。記念館では、満蒙開拓者の入植者の募集、夢を抱いて渡った新天地での厳しい生活や悲惨な出来事などが映像と資料で紹介されています。
満蒙開拓は、日本が中国東北地方に建国した満州国での軍隊の食糧確保などが目的であり、農業移民として27万人(長野県からは37,849名)が入植したとの事。しかし、戦争が厳しくなると男性は徴兵され、残った老人と女性・子供は厳しい環境下で頑張るも、1945年8月9 日に突如ソビエト軍の侵攻が始まり、広い荒野を逃げ惑い銃弾・飢え・自決・収容所生活などで多くの人々が犠牲になり、更に孤児や養子、中国人妻になるなど身を切るような悲劇と苦難にあわれたそうでが、当時のことはほとんど知られていないそうです。昭和21年5月から引揚げ船の航行が始まり23年までに14万人余が帰還され、途中日中国交断絶の期間を経て昭和28年から33年まで引揚げが再開されたものの、入植者の半数にも届かない18万人弱しか帰還出来できなかったそうです。そして、日本では、引揚者として差別されたことから当時のことは一切しゃべらなかったと聞き、とても寂しく・切ない気持ちになりました。
視察は、参加者それぞれが「戦争は、絶対にしてはならない」の思いを強くした、意義深いものとなったと確信します。(東谷 記)