場所は、ココ
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40年以上続いてきた、日本で有数の梅の名所です。

日本画のような趣。
木の本数は1200本余で、2月に行った神奈川の曽我梅林(約35000本)には
及びませんが、
曽我梅林は文字通り「林」であり「農林」で、平坦な地形なのに対し
ここ吉野梅郷はご覧の通り、丘の自然な地形を生かした公園になっており、
日本昔話に出てきそうな、「里」の風情。

紅梅、薄紅梅、白梅、そしてそれぞれに一重、八重があり
何度来ても飽きません。
なお、右下はミズキ科のサンシュユで、梅に混じってアクセントに。

3月末まで、青梅市観光協会主催の「梅まつり」が開催されており、
その実行スタッフのお一人に話を伺うと

地元住民が反対して、それぞれが所有していた梅の木を持ち寄るなどして、公園をつくったのが
吉野梅郷のはじまりなんです。」
以後、何十年もかけて木を育て、ケアし、押しも押されぬ梅の名所となったのに。
実は(ご存知の方もいると思いますが)
梅やプラムに感染する「ウメ輪紋ウイルス」が広がり、拡大を抑えられなかったため
今年限りでこれらの木、すべて伐採されてしまいます。
これだけの美しい花を咲かせているのに…… とても残念です。
先ほどのスタッフの方

10~15年かかります……。」
でも

そうお話になるその方は、60代くらいでしょうか。
他のスタッフの方も、60~70代とお見受けする方が多かったです。
地元の方の、人生とともに育ち、賑わってきた吉野梅郷。
その梅の木をすべて伐採しなくてはならない、その気持ち、察するにあまりあります。
そしてこれからの15年という時の長さは、その方々にとって、
残りの人生の大きな割合を占めるといっていいでしょう。

梅の里をバックに、伐採前の最後の記念写真。

11歳のチビワンは、もうここの梅を見ることはできません。
吉野梅郷は別の意味でも、想い出に残る地。

(何度か出している写真ですが)
2011年3月11日、私たちはここにいました。
この写真を撮った約2時間半後に、地震が起こりました。
天気が今一つで、早めに観梅を切り上げ、
自宅から10㎞ほどのところまで電車できていたので、
歩いて帰宅できました。
(もう少し長くいたら、その日のうちに帰れなかったかも知れません)
3.11を想うとき、必ず吉野梅郷のこの風景が目に浮かびます。
伐採されて、なくなってしまった後もずっと、記憶からなくなることはないでしょう。
「さよなら」と言っても「さよなら」できない。
そうしていつの間にか、15年の月日が経っていくのでしょうか。