先日、伺った百音のスタッフさんの話に
私は 何度も 「目からウロコです!」を繰り返した
会話の導入部は 彼女も かつて猫を飼ってらしたということ
その仔を送って・・・もう、とても猫と暮らす気にはなれずにいるということ・・・
ずっと うん、うん、ときいていたのだが・・・
話は 思いもかけぬ方向に進んで
その後 彼女は ベランダに迷い込んでくる昆虫を飼うに至っていると言う
現在 彼女の御宅にいるのは 『との』と名付けられたバッタ
三本足で横たわっているのを 見つけて それから共に暮らしていると言う
私の かた~いウロコを剥がしたのは
彼女のいった一言
「バッタも これまで共に暮らしたセミも、なつきます。」
「彼等は 私が帰ると 側にやってきます」
昆虫が なつくの・・・?
もちろん 彼女は付け加えた
「餌が欲しいから 寄って来るだけなのでしょうけれどね」
でも・・・餌をくれる人と認識できるのだ・・・
目からウロコだった
その話をきいてしまうと
考えないようにしてきた問いが 私に突き刺さる
命は平等なのだよと言う事
奪っていい命なんて 本当はどこにもないのに
蚊を殺してしまう私や 肉を食べる私・・・
そして、猫や犬は助けたい私
この矛盾
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その後 立ち寄った天音堂でも
今から思うと その続きの話のような気がする
猫好きな私のことを御存知な方から
「どうして、猫なのか?」と尋ねられた
「私にとって 猫の命は特別なのだ」と答えた様な気がする
そこからの会話は とても難しくて
単細胞な私の頭では ちゃんと把握できていたか疑問だが
何かを特別に思って大切にしても
人間と言う存在は 他の生命に対しては ひどい事をしている
そういう存在であると言う客観的な視野も同時に持たねば・・・
そんな内容だったのではなかったか・・・
つまり・・自分の価値観で 大切なものをより分ける事が
クジラやイルカの問題などにも繋がっている
その人たちにとって大切なものと 別の人たちにとって大切なものが違うこと
そして その区別の基準はどちらが正しいとかではなく
それぞれの思い込み・・・
だからこそ、客観的な視野も持たねば・・・ということなのだろうか?
今日のブログだけでは答えを出せないような堂々巡り
いい加減な記憶だが
『人間』という定義に 区別するもの
というのがあったような気がする
わたしは 明らかに区別しているよなあ
でも・・・感じる心を
どう 客観的にしたらいいのだろう・・・
ほとんど思い込みだけで 制作して・・・そして生きている私には
とても 難しい話・・・
客観的に見る目を持ちたいか?という自分自身への問いかけすら 持て余す。
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