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_とある医局の風景をつづります_

G1レースと大相撲

2010年05月24日 15時45分31秒 | 社会・制度
将来の夢は競走馬の馬主というくりぼうです。
ちなみに「馬主」は「うまぬし」と呼びます。「ばぬし」だと重箱読みですね。

毎週日曜午後は競馬中継に釘付けになっている私ですが、先日のG1レース1着同着は結構話題になったようです。改めて新聞の写真を見てみましたが、当然ですが素人の私には優劣の判断が付きません。

今回、17番と18番の馬が同着になったのですが、17番のアパパネという馬は桜花賞に続く2冠達成でして、中には今回の1着同着、牝馬3冠の可能性を残し売上増を目論む(というか売上減に歯止めをかける)JRAの戦略だ、何てうがった見解もあるようです。が、私は「優劣付けられないものは誰が何と言おうと付けられない」というJRAの「回答」は英断だったと思っています。


競馬には勝ち負けがつかないことも有りうるということが分かりましたが、世の中には何が何でも勝ち負け、白黒を付けねばならない場面が多々あります。

タイムリーなところでは告訴、訴訟沙汰。喧嘩両成敗的なものならともかく、「やった、やってない」といった議論になると、時には人智の及ばない世界もあるのではないかと思えます。素人考えですが、拡大した競走馬の写真をまじまじと見つめる方が正確に審議出来そうな気がします。でも、写真を見ても分からないことがあるのに、「やった、やらない」は法曹界では決着が付いてしまうのです。


話が少しそれますが、大相撲の立行司が腰に携えた小刀は、軍配を差し違えた時に切腹する覚悟を示したものだとか。実際にはビデオで確認し、同体で取り直し(要するに引き分け)になる場合もあるのですが、必ずどちらかに軍配を上げなければならない。理不尽とさえ思えますが、競技の勝ち負けの判定ごときに、命を懸けることを善しとした男もいるという例えです。

他人の勝ち負けや白黒の判断。「分かりません」が認められるのであれば正直にそう申し出る。認められないのであれば、己の命を懸けるくらいの気概で判定を下す。日曜のひととき。競馬と大相撲を観て、こんなことを感じていました。


でも、馬券が当たっていたら笑ってビール飲んでおしまいだったかもしれません。

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