電気通信視察団の数奇な経験談 その2 チベット編
関東電友会名誉顧問 桑原 守二
電気通信視察団がアジアで最後に訪問したのはネパールとチベットである。ネパール自身は訪問目的ではなく、チベットへ行くのにはネパールの首都カトマンズを経由するか、中国の成都から飛ぶしか方法がないためである。
平成10年6月、視察団はタイのバンコックから2時間ほどのフライトでカトマンズに入った。ネパールという国は単独でも十分に面白かった。カトマンズという街の混雑、汚さ、路の狭さなど、3年前に訪れたインドに良く似ている。第一回から参加している団員の一人が「インドと同じ匂いがする」と言う。そう言われたら、ネパールのお札もインドのお札と同様に臭かった。インドがくしゃみをするとネパールは風邪を引くと言われる位にインド経済に依存している。そのくせインド嫌いである。日本との時差が3時間15分と半端なのも、時差3時間半のインドと一緒にしたくないのが理由だと聞かされた。
市の郊外、バグマティ川(ガンジス川の支流)のほとりに火葬場がある。火葬場や沐浴ではインドのベナレスが有名だが、そこでは写真撮影を禁止していた。遠藤周作の「深い川」では観光客が制止を振り切ってカメラを向け、地元の人々に追いかけられる場面があった。ネパールの火葬場では特に撮影を禁止していない。しかし、遺骨を薪の燃え残りと一緒に川に突き落とす遺族の前で、カメラを向けるのは躊躇いがあった。
カトマンズ空港をチベットに向け離陸した中国西南航空の飛行機は、東に進路をとり、ヒマラヤ山脈に並行して飛ぶ。何しろ8000メートル級の山々であり、十分に高度を上げてからでないと横切れない。
やがて飛行機は大きく左に旋回した。機長が左にエベレストが見えるとアナウンスする。スチュワーデスが「あれがエレベストだ」と指を指す。しかし、他人が指さす方向と言うのは分かり難い。「これがそうだ」と信ずるしかなかった。
機はもう一回、左に旋回した。ラサ空港である。ここは海抜3700メートル、富士山頂と同じ高さである。「動作は緩慢に、水分をたくさんとり、アルコールは控えること」の注意を守り、タラップを一歩一歩ゆっくりと降りた。空港でお弁当の昼食を取ったが、ここで食欲を失っている団員が何人も居た。
街に向かうバスの中には、酸素を詰めた空気枕が用意してある。ゴムのチューブがついていて、それを鼻の穴に差し込んで吸う。さっそく吸っている団員がいる。後で聞くと、すでに高山病で気分が悪かったとのこと。幸い私は軽い頭痛だけで済んだ。
バスでラサ市に入る数キロメートル手前から、遠くにポタラ宮が見えた。「チベットへ来るまで、こんな宮殿があるという事すら知りませんでした」と団員の一人が言う。崖に沿って高さ110メートル、横幅360メートルの大宮殿である。中は1000以上の部屋に仕切られているとのことだ。
ポタラ宮をバックに記念撮影。団員より宮殿の威容に注目すること
宮殿の屋上からの眺めは絶景である。市街が一目に見渡せ、その先にラサ川が、さらにその先には山々が連なる。下の階にはダライ・ラマ5世の遺骨をミイラにして納めた巨大な霊搭があり、3700キログラムもの黄金や宝石で飾られている。
ラサに着いて2日目の夜、チベットの歌を聞き、踊りを見ながら食事をしたが、その頃に団員の多くが最低の体調だったようだ。ビールが全く美味しくない。50名近く居る団員の健康を気遣って視察団を主催する新聞社の社長が医者を用意していたが、その社長自身が真っ先に医者のお世話になる破目となったのは傑作である。