電気通信視察団の数奇な経験談 その1 カンボジア編
関東電友会名誉顧問 桑原 守二
電経新聞社が企画し、筆者が団長を務めた電気通信視察団は、平成7年7月にインドを訪問したのを始めとして、最初の4年間は東南アジア14か国を歴訪、次いで平成11年にロシア、ウクライナ、平成12年にトルコ、シリア、イスラエル、平成13年にポルトガル、モロッコ、フランス、平成14年にブラジル、チリ、ペルーを訪問した。かくして本視察団はアジアから中東、欧州、アフリカ、南米と4大陸に足跡を残した。
訪問した国の中には、単独で行くのはなかなか難しく、政情不安があったりもして、我々は秘境視察団と別名をつけられた。数週間あるいは数か月ずれていたら、危険な局面に遭遇したであろう国もある。60名近い団員を引き連れて、それぞれ10日近い旅行をし、1名の事故もなく視察を完了できたのは、今から思うと僥倖としか言いようがないように思う。今回、支社支部のホームページ担当からの依頼があったので、興味を持って頂けそうな事例のいくつかを紹介して参りたい。その始まりはカンボジアである。
カンボジアは今日でこそ世界遺産アンコールワットを訪ねるツアーが旅行業者により企画され、多くの日本人旅行者で賑わっているが、視察団が訪れた平成9年当時はポル・ポトの惨禍から十分に回復したとはいえず、カンボジアはまだ遠い国であった。我々がカンボジアに到着した日の翌日、内藤駐カンボジア日本大使から
「フンシンペック党と人民党の2人の党首が互いにボディガードを増やしあい、それぞれ1500人ずつ居ます。何時、何が起こっても不思議ではありません」
との話があった。またお話の最中にも遠方からズーンと花火のような音が聞こえたが、
「あれは発見した地雷を処理しているのです」
と聞かされた。
事実、我々がカンボジアを離れた翌週、プノンペンに2つしかないという四つ星ホテルの1つ、ソフィテル・カンボジアの近辺で両党の間で銃撃戦が起きたとのニュースがあり、宿泊していた外国人旅行者が避難するという事件が起きた。このホテルには視察団も宿泊したのである。また1か月後にはアンコール遺跡の近辺でポル・ポトの残党と政府軍との間で銃撃戦があり、観光に訪れていた旅行者が遺跡に近い都市、シェムレアプからヘリコプターで脱出するという事件も起きた。我々が運悪くこうした事件にぶつかっていたらと、後で冷やりとさせられたものである。
最後に、当時のカンボジア電気通信事情に触れておきたい。
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電柱が傾き、電線が垂れ下がったプノンペンの市内ケーブル
カンボジアの首都プノンペンは、フランスの保護領時代に広い道路が作られ、樹木も植えられて、小パリと称される瀟洒な街であった。しかしポル・ポト政権のもとで無人化が強行され、廃墟と化した。視察団が訪れたときは新生カンボジアの誕生とともに人口120万の都市として活気を取り戻しつつあったが、街中には破壊の傷跡が各所に残っており、乱雑に張られたケーブルや電線はとても生きているとは思えない状況であった。
電柱が傾いて垂れ下がったケーブルに視察団が乗った大型バスがひっかかり、身動きがとれなくなった。心得たもので、車掌役が窓からバスの屋根によじ登り、ケーブルを持ち上げている間にバスがそろりそろりと脱出する。「これらのケーブルを活用するのは諦め、新しく張り直すしかない」とは線路技術に詳しい団員の意見であった。